2010年04月18日

モンテカジノ

土曜日の夕方、サントンのホテルの部屋でやることもないのでテレビを見ていると、知人から電話がかかってきた。
「ホテルにいても、もう飽きたでしょう。
夕方、モンテカジノまで送って行きますので準備しておいて下さい」という一方的なものであった。
私のイライラを察してのご好意であったと思う。

夕方7時頃、知人がホテルに迎えにきて、車は北の方向へ向かった。約15分ほどで右手に大きな建物が見えた。
大きな屋内の駐車場で車を降りて、階段をゾロゾロと歩いて降りて行くと、手荷物とポケットの中をチェックされた。
知人は「銃を持っているかの検査だ」と言った。

入口を入ると狭い広場があり、正面の島にスロットマシンが見えた。
この広場とカジノ場との境は、人工の2メートル幅ほどの川があった。
「ここからは見えないが、島の中央ではカードゲームやルーレットが出来る」と知人が教えてくれた。
知人は携帯電話と電話番号の書いてあるメモを私に渡し、「何かあったらここに連絡するように」と言い、「迎えに来る時は電話をする」と言って帰って行った。

左の空を見ると薄暗い夕方であった。
右側の空を見ると夜空であった。
「何故、左と右では空が違うのだろうか?」と思った。
よく見ると、空は作られた天井であった。
このモンテカジノはイタリアの町を模倣して作られたのだそうです。
正式には、モナコ王国のモンテカルロかもしれません。
家族連れの方々が大勢来られていた。
皆さん、カジノが好きだから来るのではなく、ここで食事をしたり、お喋りをしに来るみたいです。

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2010年04月17日

サントンシティーに集まる少年少女たち

1995年、数年振りに南アフリカを訪問して1999年までの5年間、年間の半分以上を滞在した。
南アフリカは、1994年に全人種参加の選挙が行われ、黒人のマンデラ大統領が誕生していた。
1995年当時はすでに、このサントンシティーは週末の営業が行われていたように記憶しています。
このサントンシティーの中を歩く黒人の方々が多くなり、みなさん綺麗な服装をしていた。

1999年の後半、週末のサントンシティーの夜は、若者達で映画館などのある一角は足の踏み場もないほど賑わっていた。
ほとんどが20歳前の若者で、高校生が殆どであったかもしれない。
その半分以上は黒人の方達でした。
夕方になると母親などに車で送られて続々と集まって来た。
若い女性たちは、ミニスカートをはいて、上半身はもう水着と同じような服装をしていた。
通路でアイスクリームなどを食べて、お喋りをしたりデートをしていた。

夜の10時から11時になると一斉にある方向へ移動した。
そう、屋上の駐車場へ向かった。
そこにはご両親が車で迎えに来ていて、家に帰って行った。
このサントンに来るための、タクシーやバスの手段がないのです。
タクシーやバスはあるのですが、黒人の方々の移動用で、白人の方が利用するのはまれで危険きわまりないものだったのです。
ご両親にしてみれば、週末、このサントンに子どもさん送ってくるのは、一つの安心があったのかもしれない。

今回、サントンのホテルで週末を過ごし、何度か夜のサントンシティーへ行ってみた。
9時を過ぎると、人もまばらになり、歩くのさえ怖いようだった。
もしここで襲われたら誰も助けてくれないからだ。
「ここにいた若者は何処に消えたのだろう」と思った。
南アフリカに到着した日、知人から「サントンシティーは安全ですから」と言われたので、ここで大きな事件が起こったとは思えない。
やはり、日本の○○族と同じように、一時のブームだったのだろうか?
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2010年04月13日

サントンシティー

サントンシティーは、5つ星のサントンサン・タワー・ホテルの正面にあり、ホテルから建物の中の通路を通って行くことが出来る。

サントンシティーは、大きな高級品の売っているショッピングモールです。
ヨーロッパなどの有名ブランド店が沢山ある。
南アフリカ産のオーストリッチなどの皮製品も沢山売られている。
南アフリカの民芸品も売られていますが、フリーマーケットで買うよりも数倍の値段です。
しかし粗悪品が少ないため、旅行客に土産品として買われているみたいです。
日本人から旅行やビジネスで来られた方々は、サントンサン・タワー・ホテルか古いサントンサン・ホテルに宿泊して、このサントンシティーでお土産を買っているかもしれない。

私がこのサントンシティーを最初に訪れたのは1992年だった。
当時は、アパルトヘイトは撤廃になったとはいえ、まだ白人政権だった。
このサントンシティーの中は、従業員以外は黒人の方々が殆ど歩いていなかった。
当時の黒人の方々の収入ではとても購入できる代物はなかったのかもしれない。
あるいは、サントンシティーの警備員に、目的もなくウロウロ歩くことを制限されていたのかもしれない。

当時はまだ優雅な時代で、この南アフリカの大きなショップは土曜日と日曜日は休業だった。
金曜日の夕方ともなると、週末のための食糧等の買出しでスーパーマーケットなどは大盛況だった。
このサントンシティーのお土産屋さんですら週末は休みだった。
けれども土曜日の午前中だけ、旅行客を相手に3時間程度オープンするお土産屋さんが何店あり、ここで土産を買った記憶がある。

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2010年04月07日

サントンのホテルのチェックアウト

週末だけサントンのホテルに宿泊しているので、日曜日の午後はチェックアウトをして田舎町に戻らなければならない。
ホテルのチェックアウトに15分もかかってしまった。
ホテルの室内にはミニバーはないので、部屋を確認に行っているわけでもない。
ただ請求書を打ち出すのに、何故こんなにも時間がかかってしまうのか不思議である。

バックパックとコンピュターの入ったビジネスバッグを足元に置いて、靴のつま先で触れてチェックアウトの手続き待っていた。
荷物を盗まれないための防備である。

チェックアウトがあまりにも遅いので、イライラして待っていると一人のアラブ人らしい男が近づいてきて、「ドル....」と言った。
「南アフリカの通貨のランドをドルに交換する」と言っているのが分かった。
黙っていると男は「イングリッシュ」と言ったので、「ノー」と答えた。

たぶん男は、このイライラな状態の私を狙っているのだろう。
ランド紙幣を渡せば、ドル紙幣をかなり高額で交換してくれるかもしれない。
でも彼の手の中で数えられたドル紙幣が、私の手に渡された時は半分になってしまっているかもしれないのだ。
いやいや、私に渡される時にドルの紙幣は減らないかもしれないが、ランド紙幣を数える時にごまかされるかもしれない。
その方がごまかしやすいから。
今、私はチェックアウトをしながら足元の荷物を監視している。
さらに紙幣の交換なんてとてもできない。

チェックアウトを済ませて玄関に向かった。
もう男は話しかけてこなかった。
男は奥さんらしい女性と一緒に違うお客さんを探していた。
「やはり2人組だったか」と思った。
紙幣の交換をごまかされて、荷物も持っていかれれば、ダブルパンチであった。
それにしたって、こんな泥棒をロビーにウロウロさせるなんて、ホテルもどうかしている。
現地の黒人の出入りを厳しくチェックしているくせに。

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2010年04月06日

サントンのホテル前で偽警察官が職務質問

新聞売りの少女は、熱心に交差点で停まる車の運転手に新聞を売っていた。
「交通事故に巻きこまれなければよいな」と思って、ホテルの駐車場の隅からしばらく見ていた。

すると一台の車が私の近くに来た。
私の立っていた場所は駐車スペースになっているが、隣の車が白線を越えてこちら側に停車しているので、「この車が駐車するには狭すぎる」と思った。
私が芝生の方へ移動すると、助手席の男が「そこにいてよい」と言った。言葉で言ったのか、手で合図をしたのか、よく覚えていない。

しばらくして、助手席の男が「ポリス」と言って私を呼んだ。
「このホテルの駐車場の中でタバコを吸っていたのがまずかったか」と思った。
南アフリカは公共の場での喫煙が法律で禁止になった。
「ここも公共の場なのだろうか?」と思った。
「でもホテルの玄関の外には灰皿が置いてあり、今までそこで吸っていても文句を言われたことがない」と思った。
「面倒なことになった」と思った。

その車は、助手席を私の方へ向けて、ホテルの駐車場の出口に向けて停まっていた。
助手席の男が手招きをした。
車の方に行った。
車の中には西アジア系の顔をした3人の男が乗っていて、助手席の男がIDカードみたいなのを見せた。
警察手帳ではなかった。
3人の男は白のワイシャツを着ていたが、警察の制服を着ていなかった。
車の屋根の上にもパトカーの青いランプは付いていなかった。
「偽警察だ」と思った。

ここから10mほど先にホテルの警備員がいた。
「警備員に声をかけようか?」と思ったが、ひとまず言いなりになることにした。
「もし男が車から降りてきたら警備員に声を掛けよう」と思った。
「まさかホテルの駐車場で銃を突きつれられることはないだろう」と思った。

助手席の男が「ジャパニーズ?」と聞いたので、「イエス」と答た。
「パスポート?」と聞いたので、「ホテルの部屋の中だ」と答えた。
もう少し近くに来いと手招きしたので車の近くに近づいた。
男が右のポケットの外からさわった。

「これは何だ?」と言うので、タバコを取り出すと、タバコの箱の蓋も開けないで匂い嗅いだ。
麻薬の検査でもしているつもりなのだろうが、いかにもわざとらしい。

今度は右後ろのポケットをさわって「これは何だ?」と言った。
私は車から一歩下がって財布を取り出して中を開けた。
ユックリと「これはカード(マイレージカード)、これはコイン、これは札」と言って見せた。
現金は150R(1800円)しか入っていなかった。
男は「渡せ」と手で合図をしたが渡さなかった、財布の中のお金を手の中に全て出して見せた。

10秒ほどの沈黙があった。
男たちは何も言わずに車を発進させた。
10メートル先にいたホテルの監視員に一言何か話しをして去って行った。
私がホテルの監視員に、あれは「ポリスか?」と聞くと、監視員「違う」と言った。

あの時、パスポートを渡していたら、財布を渡していたら、彼らは車を急発進させて持ち去っていたであろう。
それよりも、ここがホテル内の昼間だったからよかったものの、道路であったならばどうなっていただろうと思うとゾッとする。
私がいくら強気でも、このヨハネスブルグのあるハウテン州では月に500件ものハイジャックも起きているのだから。
もし私が道路上で彼らに遭遇したならば、無抵抗にポケットの中の物をすべて差し出したであろう。

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2010年04月05日

サントンサン・タワー・ホテル

自分の宿泊しているホテルのような顔をして入って行くと、左側にレセプションのデスクがある。
顔見知りのお姉さんがいると、A4版3〜4枚を両面コピーした共同ニュースの日本語の新聞を渡してくれる。
お姉さんがいない時は黙って頂いてくる。
何と当日の朝刊である。
そう、南アフリカは日本との時差が7時間なので、日本の朝刊を南アフリカで朝読めるのです。
新聞は自分のPCをインターネットに繋げば夜中のうちに朝刊が読めるよのだが、それでは面白くない。

このサントンサン・タワーホテルの玄関を入って左のエレベータからは客の部屋に行けるが、エレベータの入口には監視人がいる。
玄関を入って右折して、エレベータで5階へ行くとスカイウオークという、道路の上を横切る通路に出る。
この通路を歩いて行くと古いサントンサン・ホテルに行ける。
ここを右折してエレベーターに乗れば客室に行けるが、エレベータの入口には監視人がいる。
ここを左折して歩いて行くとサントンシティーというショッピングモールに出られる。

このショッピングモールの中心には屋内の広場があり、今はクリスマスシーズンなので大きなクリスマスツリーがある。
朝の7時〜9時ころ行くと、この広場の回りにある長椅子は満席である。
ここはショッピングモールに勤める方達の朝の待合所なのだ。
このショッピングモールのお店に務める従業員の方達は、店の鍵を持っている管理人の方が来る前にここに来て待っている。

今日は少し早めにこの広場に行ってみましたら、長椅子の上に2台の携帯電話が置いてあった。
「誰かの忘れ物かな?」、「忘れ物のはずがない。
忘れ物なら雑誌1冊だってすぐになくなってしまうだろう」と思って近づいてみる、何と電気コードがあり、掃除用のコンセントから警備員が携帯電話に充電していた。

ここの長椅子でしばらく休んでいると、一人の黒人の方が近づいてきた。
「マスター、マスター」と言って手に持った紙の中を広げて見せた。
紙の中には直径2mmほどの透明で光る物があった。
私は、「今日もお金を思っていないよ。私は貧しい日本人だから」と言うと、「ダイヤモンド」と言った。
私が無視していると、男は去って行った。
私は、「彼が持っているのは本物のダイヤモンドなのかも知れない」と思っている。

この広場を先に進み、左折すると私の宿泊しているホテルの正面に出る。
ここからホテルまで500メートルぐらいだが、監視員のいる建物の上にある通路を通っていくので安全である。
でも、実際に何か起きた時に監視員が助けてくれそうにもない。

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2010年04月04日

サントンの新聞売りの少女

この新聞は月刊で、ここに来る度に買っているので、今日で同じ新聞を4回買ってしまった。
一部3R(36円)なのだが、5Rコインを渡してお釣りを貰っていない。
最初に少女から買った時、5Rコインを渡した。
少女はコインを袋に入れたのだが、袋の中に手を入れたまま困ったような顔をしていた。
早朝だったためお釣りがなかったのかもしれない。
お釣りを返したくなかったのかもしれない。
路上で新聞を買う時は、お釣りは貰わないという暗黙のルールがあるのかもしれない。

昨日の金曜日の夕方、サントンシティーのショッピングモールを歩いていると誰かが背中を叩いた。
振り返ると一人の少女がいた。
「一体この少女は何なんだろう?」と思った。
もの貰いにしては綺麗な垢抜けた服装をしていた。
突然、少女が笑った。
そう、この新聞売りの少女だった。
でも新聞売りの時の服装と各段の差だった。
「この家族は本当に貧しいのだろうか?」。
「3Rの新聞が一日に何部売れるのだろうか?」と思った。

今朝、ホテルの駐車場からタバコを吸いながら、新聞売りの家族を眺めていたが30分で2部しか売れなかった。
ここで新聞売りの家族を見ていたおかげで、もう少しで南アフリカ滞在時の最大に被害に会いそうになってしまった。
もし私が南アフリカの犯罪の状況を知っていなかったならば、いまごろ途方にくれていたであろう。

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2010年04月02日

サントンの新聞売りの家族

私が週末に宿泊しているサントンのホテルの前の道路では、黒人のご家族が新聞を売っている。
私は週末しか行かないので、ウイークデーはどうしているのか知らない。
2枚の黄色の布に紐がついていて、首を通して腹と背中に黄色の布がくるようになっている。
日本でたまに見かけるウオーク・ラリーのゼッケンみたいなやつである。
この布には新聞の名前などが書いてある。
黄色の布は交通事故防止になっていると思うが、白く色あせていて黒く汚れている。

赤信号で停った車に走り寄って新聞を売っているのは、お母さんと10歳くらいの娘さんである。
お母さんはかなり太っているので、新聞を売るのはもっぱら娘さんである。
昼過ぎにはもう一人男性の方が来るが、お母さんの旦那さんにしては若すぎるし、子供さんのお兄さんにしては年上過ぎる。
このお母さんには、もう一人7歳の息子さんがいて信号機の下に座っている。
日本人の子供さんなら、一日座っていれば日射病でダウンするであろう。

お母さんと娘さんは交替でたまに木陰で休んでいる。
南アフリカは今、初夏です。昼間の気温は25℃です。
これから夏を迎えると、さらに大変な仕事になるはずである。

この新聞はホームレス、子供、貧困について書かれている。
新聞を売っている少女は新聞の内容などよく知らないのかもしれない。
そう自分の生活のために働いているのかもしれない。
いやいやお母さんに働かさせられているのかもしれない。
でも少女はいつも笑顔である。

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2010年03月31日

いつも泊まるサントンのホテル

このホテルのチェックインは必ず15分ぐらいはかかってしまう。
勿論、予約なしで行くわけではなく、事前に予約を入れ、宿泊代すら会社から払い込みのはずなのに。
ファックスで送られて来た予約書を渡すと、先ずコンピュータでチェックして、後ろのボックスからプリントアウトした用紙を探し出す。
宿泊の記入用紙を渡されて、住所、氏名、パスポートNoを記入する。
そしてデポジットとして1泊100Rを請求され、喫煙の部屋を希望するかどうかを聞かれ、駐車場を使用しているか聞かれる。
もう何度も宿泊していて、会社からの宿泊代の払い込みもしてあり、身分も明確なのだから、「ウエルカムバック」だけで、部屋のキーを渡されてもよさそうなものだが。

私がチェックインする夕方は、カウンターの中には2名か3名いるのだが、何故か従業員同士で時々お喋りをして、手の動きが止まってしまう。
そして、宿泊客やらがカウンターに来て両替や依頼事をすると、私をそっちのけでその仕事をしている。

この私が宿泊しているホテルからサントンサン・タワーホテルの間には、2車線の道路が走っている。
この間は約500mぐらいかもしれない。
数年前は、ウエストバッグに財布を入れて、カメラをぶら下げてここの歩道を歩く日本人の観光客の方がよく物取りにあったらしい。
「近くに人がいても助けてくれないので注意するように」と言われている。

私はこのホテルに宿泊している時は毎朝、このホテルからサントンサン・タワーホテルまで歩いて行く。
右のポケットには小銭を、左のポケットには100R(1200円)程度の紙幣を入れて。
勿論、物取りに狙われないように毎日同じ時間には行かない。
サントンサン・タワーホテルの玄関にたどり着くと、玄関の外にいるポーターさんたちが、「オハヨウゴザイマス」と挨拶をしてくれる。
私は、「ウンジャーニ(元気ですか)」と声を掛ける。

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2010年03月28日

週末はサントンのホテルへ

週末はカントリークラブのロッジを追い出されるので、何処かのホテルへ移らなければならない。
このカントリークラブは市の直営のためなのか、金曜日と土曜日の夜は、休暇で訪れるお客さん以外は泊めない。
宿泊客は予め予約して来るはずなので、週末に部屋が空いていれば私を宿泊させてくれてもいいと思うのだが、お金もうけばかりを考えていない。
さすが南アフリカである。

最初からホテルに宿泊すれば週末移らなくてもすむのだが、ホテルの塀の外に出られなければ気分が滅入ってしまう。
カントリークラブなら、朝晩は広い敷地内を自由に散歩が出来るし、知り合いのキャディーマスターとも話しが出来るので、ウイークデーはカントリークラブに泊ることにしたのである。

週末だけこの田舎町のホテルに移って宿泊することも可能だが、ついつい200km離れたヨハネスブルグの北のサントンという街まで行ってしまう。
サントンのホテルに宿泊したからといって、人と会って話しをするでもない。
でも、安全なショッピングセンターの人ごみを歩いたり、サントンスクウェアーの階段に座って人々を見ていると少しは孤独感がなくなる。

もうそれも飽きてきた。
次回は車を飛ばして東の方をドライブして見ようと思っている。
イースタントランスバールには山、谷、滝があり、とても美しいまところである。
でも、イースタントランスバールのロッジに泊まって、家族づれの中で一人で食事をするほど侘しいことはない。

私の宿泊するサントンのホテルは、5つ星の有名なサントンサン・タワーホテルの隣にある。
サントンサン・タワーホテルは最近宿泊したことがないが、一泊900R(10900円)くらいするかもしれない。
私の泊るホテルは400R(4800円)である。
かなり安い方だが、私の滞在する田舎町の人達が仕事でサントンに来ると、これでも「高い」と言って200Rぐらいのロッジと呼ばれるホテルに泊っているみたいである。
私の場合は、ベッドの他に安全も買っているので、決して高いホテルではない。

私が宿泊しているこのホテルと、その回りでは摩訶不思議なことが沢山起きているので紹介したいと思っている。

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posted by southafrica at 21:03| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 滞在記・2001年 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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