2010年05月22日

カントリークラブでの朝食

7時になったのでカントリークラブのレストランへ行った。
隣のテーブルで、20歳代後半の2人お兄さんが話しをしていたが言葉がわからなかった。
「アフリカーンス語か?」と思った。
「ここから少し離れた町から長期出張で来ていて、たぶん金曜日の夕方に家に帰り、月曜日の朝に戻ってくるのだろう」と思った。
工事などでけっこうホテルやロッジに宿泊して週末だけ帰る方が多い。
以前、私があった人たちは、近くのキャンプ場に車ごと入って、キャンピングカーとバンガローで生活していた。

キョロキョロとこの2人見ていましたら、「何処からきたのですか?」と英語で聞かれたので、「日本からです」と答えた。
「どこから来たのですか?」と私が聞き返すと、「オランダ」と言った。
そして「仕事でしばらく滞在している」と言った。
お兄さんたちが話していた言葉はオランダ語だったのである。
アフリカーンス語はもともとオランダ語から生まれた言葉である。
アフリーカーンス語とオランダは同じ単語もあるみたいだが、同じスペルでも発音がかなり違っているみたいである。
南アフリカの現地の知人の話では、「でもコミュニケーションは出来る」と言っていた。

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2010年05月21日

カントリークラブの朝

昨夜は23時頃に寝たのに、早朝の4時に目が醒めてしまった。
南アフリカ最初の昨日は3時に目が醒めた。
たぶん明日は5時頃に目が醒めて、時差ボケはなくなるだろうと思った。
ベッドの中でウトウトしていると、遠くで「ゴトゴト」という貨物列車の音が聞こえた。
この音は前回の滞在時にも聞いていた音で、いつもこの音で目が醒めていた。
この貨物列車はこの町を通り、インド洋沿いにあるリチャーズ・ベイという輸出港へ行っている。
リチャーズベイは南アフリカの小さなで輸出港で、石炭などを製品を輸出している港である。

ベッドの中でウトウトしていると、今度はゴルフ場で鳴く「カー、カー」という鳥の鳴き声で起こされた。
「カー、カー」と鳴くがカラスではない。
嘴の長い鳥で芝生の根っこに嘴を突っ込んで虫を食べているみたいである。
窓の外を見ると、空は夏だというのにドンヨリと曇っていた。
「今は初夏なのか?」と疑いたくなるほどだった。
窓を開けたがさほど寒くない。朝の気温は18℃くらいかもしれない。

ポットでお湯を沸かして、インスタントコーヒーを作って飲んでいると、ヘリコプターのような騒音が聞こえてきた。
テラスに飛び出してみると、何とこれがゴルフ場の芝刈機の音であった。

今日から3週間、このロッジから会社へ通うことになっていた。
ロッジの朝食は7時からであった。
会社は7時30分から始まるが、ここから会社まで車で20分以上かかるので、朝食を食べれば当然遅刻である。
朝のミーティングは8時からなので、その時間までに行くことにした。
どうせ夕方の就業4時にはすぐに帰れないので、勤務時間は帳消しである。

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2010年05月15日

カントリークラブのレストラン

今朝はドライブインでサンドウイッチを食べ、昼食は会社で魚とチップス(フライド・ポテト)を食べた。
もうそろそろ空腹になってもよいのだが、お腹がすいていない。
それよりもとにかく眠い。
時差ボケである。
でも今寝てしまうと夜中に目が醒めて、一晩中寝られないで過ごすことになる。
そして寝付くのは明け方で、会社に遅刻してしまう。
ともかく、カントリークラブのレストランへ行ってみることにした。
明日から毎日、朝食と夕食を食べに行くことになるので、下見をしておくためであった。

10年ほど前は、このカントリークラブのレストランとは賑わっていた。
でも今では寂れていた。
町にマクドナルドやケンタッキーなど、いろいろなレストランなどが出来たからである。
かつては、この町には、このカントリークラブのレストラン、一軒あったホテルのレストラン、それにステーキの旨いレストランぐらいしかなかった。
数年前、この町に滞在している間に、どんどんとレストランやファーストフードの店が出来ていった。

カントリークラブのレストランへ行くと、日本人が珍しいのだろうか、ウエイトレスにジロジロ見られてしまった。
まずは、飲み物にカーソル・ライトというビールを注文した。
「一応レストランなのでスターター(前菜)から注文しなければならないだろう」と思った。
スターターはサラダにするかスープにするか迷ったが、スープを注文したらトーストもついてきた。
もうこれで腹が一杯になったような気がした。

メインは何か食べなければならない。
到着記念なのでステーキを注文することにした。
ウエイトレスにメニューを指差すと、「これはレディサイズで、200gだ」と言われてしまった。
「今日はあまりお腹がすいていない。キディサイズがあればそっちを注文したい」というと変な顔をされてしまった。

ひさしぶりに食べたステーキは硬かった。
結局、120gぐらい食べてギブアップしてしまった。
ウエイトレスが「それしか食べられないのか?」という顔をして、「ドギー・バグ?」と言った。
お土産に持って帰っても犬がいるわけではないし、どうせ食べることもないので断った。
ウエイトレスが「デザート?」と聞いたがもうお腹が一杯であった。
部屋に戻ってすぐ寝るわけにはいかないので、コーヒーを注文した。

毎晩、この調子で食べていては胃がおかしくなってしまう。
「変な日本人だ」と言われるかもしれないが、「明日はメインだけにしようか?」、「それともスターターだけを2つ注文しようか?」と思った。

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2010年05月12日

スーパーマーケットへ行く

ここのスーパーマーケットは、日本の大きなスーパーマーケットと殆ど変わらない。
変わっているとすれば、南アフリカ産のワインがずらりと並び、南国産のフルーツが沢山ならんでいることである。
それに長ネギなど日本の野菜や中国の野菜がないことである。
これらの野菜が食べたくなったら、サントンへ行った時にチャイニーズショップで買ってくるしかないが、いつもあるわけでもない。
そうそう、南アフリカのスーパーマーケットで忘れることが出来ないのは、肉売り場にブルボースという南アフリカ産のソーセージが、トレイの上で不気味にとぐろを巻いて座っていることである。

お気に入りのワイン、コーラ、パッションフルーツの果汁、レモン味の炭酸水(レモネード)、マフィーン、アボガド、洗剤などを買った。
パッションフルーツの果汁は、レモネードで割って飲む予定である。
アボガドはまだ硬かった。
数日部屋に置いておけば柔らかくなるであろう。
半分に割ってワサビ醤油で食べる予定である。

ピックンペイから買物をして外に出ると大粒の雨が降り出した。
車に乗ると空に稲妻が走った。
久し振りの雷である。
一瞬、「何で今頃?」と思ったが、南アフリカは今、初夏なのである。
この時期、一度雷が来ると、翌日もその翌日も、毎日同じ時刻に来るのである。
時々停電になるが、なかなか復旧しない。
「ロウソクを買い忘れた」と思った。

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2010年05月08日

カントリークラブのロッジ

私の宿泊するカントリークラブのロッジの外にはゴルフ場が見えた。
このゴルフ場は、数年前まで滞在していた時は、週末になれば毎日来ていた所である。
でも今回は、3週間の滞在なのでゴルフをする暇もないだろう。
数年前ならば、南アフリカに来て、週末は何もすることがなかったので、ゴルフをすることを楽しみにしていたが、今ではその気も起きない。
歳をとったためだろうか?

部屋の外にはテラスがあり、白いテーブルが置いてあった。
でもこのテラスは鉄格子に囲まれていた。
この鉄格子はゴルフ場から飛んでくるボール避けではない。
勿論、ライオンなどの動物が侵入してこないための動物避けでもない。
この南アフリカでは、猛獣のたぐいが自然の中に棲んでいることは殆どない。
クルーガー・ナショナルパークなどの動物保護区でしか見られない。

この鉄格子は、泥棒などの侵入防止なのです。
私が以前に住んでいた家は、室内にセキュリティーシステムが取り付けてあった。
外出時に何者かが侵入するとアラームが鳴り、セキュリティー会社が掛けつけるようになっていた。
この鉄格子のおかげで、私が動物の檻の中で生活するような気分になってしまった。

部屋の冷蔵庫の中を見ると、当然のことながら空っぽであった。
この乾いた南アフリカの空気の中で生活するためにはコールド・ドリンクが必要である。
町まで車で買物に行ったが、このロッジは町の外れにるため、車で15分ほどかかった。
いつも行っていたピックンペイというスーパーマーケットへ寄った。
ピックンペイは、"Pick 'n Pay" と書く。
英語のようだが、'n は英語の a なので、たぶんアフリカーンス語なのであろう。

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2010年05月02日

カントリークラブのロッジにチェックイン

カントリークラブのロッジはこの田舎町の町営なのかもしれない。
個人経営でないことは確かである。
ゴルフコースの1番ホールに沿ってうなぎの寝床みたいに部屋がある。
私の部屋は一番奥のほうであった。
奥に行くほど新しく、部屋がよいのだという。
部屋の愛称は「ロビン」と書いてあった。
すぐ近くには「アルバトロス」という部屋があり、「来週はこの部屋に泊ってみたい」と思った。

このロッジはウイークデーしか宿泊させないらしい。
週末の金曜日と土曜日は、ゴルフを楽しみに来るお客さんしか泊めないそうです。
日本ならば「もし空室があれば泊めますよ」と言うかもしれないが、それを認めないのが南アフリカらしくて好きである。
週末は何処かへ移動しなくてはならない。どうせ週末は何処かへ行きたいと思っているので好都合である。

部屋は、バス、トイレとシャワー付きであった。
部屋は広く隅にダブルベッドが置いてあった。
ダブルベッドが狭く見えるほど部屋は広かった。
テレビ、電話、湯沸し器、それに冷蔵庫があった。
湯沸し器があれば、日本から持って来たインスタントラーメンを作ったり、パックのご飯を温められるので安心した。
テレビをつけると、アフリカーンス語の放送が流れていた。
「もうアフリカーンス語の放送は少なくなっただろう」と思っていたので以外であった。

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2年ぶりに会社へ行く

約2時間で、これから3週間滞在する予定の田舎町に着いた。
この町は、1995年から5年間、年間の半分以上を過ごした町である。
ひとまず会社へ行って挨拶し、事務室の整理をして、予定の打ち合せをした。

2年間もここにいなかったのが嘘のように思える。
事務室の整理をしていると、顔見知りが「お帰り」と声をかけてくれる。
「元気だったかい?」と聞いてくれるが、もうそれ以上のことは聞いてこない。
まるで週末の休みから戻った月曜日のような雰囲気である。
私のいない2年の間に入社してきた人や、ハウスキーパーのお姉さんが珍しそうに私を見ていた。
「日本人てこんな顔をしているのか」という顔で見ていた。
ハウスキーパーのお姉さんに、「ウンジャーニ(ズールー語でこんにちは)」と言うと、驚いたような顔をして「リコーナ」と返事をした。
驚くのも無理はないだろう。
このハウスキーパーに挨拶をする白人なんて誰もいないのだから。

夕方3時頃、時差ボケのため眠くなり事務室でぼんやりとしていると、一緒に働いている白人の知人が来て、「もう疲れたろうから、カントリークラブのロッジへ行ってチェックインしよう」と言った。
これから3週間滞在するロッジである。
この会社は朝の7時半から始まり、午後の4時に終了する。
「まだ3時ではないか?」というと、「どうせ仕事がないのだろう」と言った。
私は自分のことを気にしているのではなく、この知人が3時に帰宅するのを心配しているのに。
私に付き合うことを理由に、早く家に帰りたいのだろうと思った。
彼らの考えそうなことである。
posted by southafrica at 07:23| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 滞在記・2001年 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月25日

久し振りの田舎町

南アフリカ最初の夜は、ヨハネスブルグの北にあるサントンという町のホテルに宿泊した。
時差ボケ解消のため、夕方眠いのをじっと我慢して23時に寝たが、まだ夜も明けない3時に目が醒めてしまった。
4時間しか寝ていないが、昨日の昼間は機内で十分に寝ておいたためか、寝不足という感じはなかった。

朝7時にサントンのホテルを出発して、これから3週間滞在する予定の田舎町へ向かった。
ホテルのレストランは朝7時からなので朝食が食べられなかった。
何処かのドライブインで食べようと思ったが、車はN12道路で田舎町へ向かったので途中にドライブインはなかった。
朝食のサンドイッチにありついたのは、約1時間半後の田舎町近くのウルトラシティーというドライブインに着いてからであった。

私は、サントンからM1道路でプレトリア方面に向かい、ここからN4で田舎町へ向かうと思っていたのだ。
この道ならば、ミッドランドという町や、N4道路沿いにドライブインがあるからである。
こんなことならば、昨日、サントンシティーで何か食糧を買っておけばよかったと思った。
昨日の夜は、友人に連れられて日本食のレストランへ行ったが、旅の疲れのためか食欲はなかった。
腹にたまる物といえば、月見うどんしか食べていなかったのである。

N12道路沿いには、小さな新しい家が沢山建っていた。
2年前には建っていなかったので、最近建てたのであろう。
数ヶ月前の南アフリカのニュースでは、持ち家制度を援助するムベキ大統領の写真が掲載されていた。
持ち家制度が着実に進められているに違いない。
ニュースによれば、なかなか順調に進んでいないとも書いてあったが。
道路沿いの草原や畑は、緑一色になっていた。
ここが冬の時期には真っ赤な台地に変わってしまうのが嘘のようである。

道路を走っていても久し振りに南アフリカに来たという感じはしない。
この曇り空は何なんだろうと思った。
12月は、すでにシャワーの季節が過ぎて強い紫外線を浴びるはずだが、空はどんよりと曇っている。
そして肌に湿度さえ感じる。
今までだったら、みるみる肌と唇が乾いてカサカサになるのがわかったが、今回はそれがない。

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posted by southafrica at 23:09| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 滞在記・2001年 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月24日

カジノはやっぱし儲からない

勿論、私はカジノを目的で行ったのですが、すぐに軍資金がなくなってしまった
しかたがないので、スロットマシンに1R(約12円)コインを入れて時間を過ごした。
夜の10時頃、殆ど軍資金も使い果たしてしまったので、イタリアレストランで、美味しいピッツァとスパゲッティを食べてぼんやりと過ごた。
レストランの前の広場ではクリスマスソングがかかり、サンタクロースも来ておお賑わいだった。

夜の11時頃、疲れて動く気力もなくなっていると、知人が向かえに来てくれた。
帰りの車の中で知人に聞いてみた。
「何故、モンテカジノでは銃を持っているかの検査をするのだろうか?」と。
知人ははっきりと答えなかったが、「もしかしたらモンテカジノの中で、銃による事件が起きたことがあるのかもしれない」と思った。

道路は湿っていた。
私がモンテカジノにいる間に夕立が来たのであろう。
道路の信号は、ライトがついていないものもあった。
知人は、「信号のが故障してもなかなか直らない」と行って、スピードを落として左右を確認して交差点に入った。
次の信号は赤ランプがついていた。
車はスピードを落として、左右を確認して交差点に入った。
この交差点で停まるよりも、注意して渡る方が危険のリスクが低いからである。

2年ほど前、週末の夜にサントンシティーに集まっていたような若者たちは、このモンテカジノにもいなかった。
やはり日本の○○族と同じように、一時のブームであったのだろうか?
一年前ほどの南アフリカの新聞によれば、白人の若者達は、黒人の若者達が集まっていたような社交場に集まっているという。
そこのほうが刺激的だからだそうです。

(お詫び:写真は南アフリカの新聞からお借りしました)

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posted by southafrica at 22:16| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 滞在記・2001年 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月19日

南アフリカの国歌 Nkosi Sikelei'i Afrika die stem

Nkosi Sikelei'i Afrika die stem

Nkosi Sikelei'i Afrika
Maluphakanyisw' uphondo Iwayo
Yizwa imithandazo yethu
Nkosi sikelela
Thina lusapho Iwayo

Morena Boloka setjhaba sa heso
O fedise dintwa le matshwenyeho
O se boloke, O se boloke setjaba sa heso
Setjhaba sa South Africa, South Africa

Uit die blou van onse hemel
Uit die diepte van ons see
Oor ons ewige gabergtes
Waar die kranse antwoord gee

Sounds the call to come together
And united we shall stand
Let us live and strive for freedom
In South Africa our land

posted by southafrica at 20:02| 東京 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 南アフリカ国歌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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