2010年06月04日

ヨハネスブル空港クからSA便で香港へ

SA便の出発のアナウンスがあった。
10分ほどしてから搭乗ゲートに向かった。
搭乗手続きに向かうドアは閉まっていた。
ここで約20分ほど待たされてドアが開いた。
斜めの通路を50mほど下ったところが搭乗手続きになっていた。
この狭い通路は人が満杯になった。
当然、子どもさんの優先搭乗も、ビジネスクラスの優先搭乗も行われなかった。
搭乗手続きの機械がトラブっているためか、搭乗手続き処理が遅いためかわからなかったが、極めて遅かった。
みんなイライラしていた。
時計を見て確認したら、1分間に2人しか搭乗手続きが行われていなかった。
搭乗手続きは左右2ヶ所で行うことができるはずなので、どちらか一つはスムーズに通して欲しいと思った。

搭乗ゲートから、南アフリカの旗のカラーをした派手な飛行機が見えた。
どこかで見た飛行機であった。
確か数年前、ケープタウンからアトランタ・オリンピックへ向けて南アフリカ選手団を乗せて出発したのを、新聞で見たことがある。
アトランタ・オリンピックを南アフリカのテレビで見ていたことを思い出した。

結局、飛行機は2時間の遅れで出発した。
このまま香港で乗り継ぐのであれば大問題であった。
幸いにして香港で1泊の予定なのでトラブルとはならなかった。
隣の席に日本人の方が座った。
「ヨーロッパで仕事をして、南アのイーストロンドンで仕事をしてきた」と言っていた。
「魚介類が美味しかった」と言っていた。

機内のことを書こうとすると、悪口ばかりになってしまう。
今回は書かないでようそうと思ったが、これだけは私の記録として書いておきたい。

ワインリストを見ていたら、"KWV CATHEDRAL CELLR CABERNET SAUVIGNON 1997" の赤ワインがあった。
「1997年物のKWVなので飲んでみたい」と思った。
注文すると、「この飛行機には乗せてない」とあっさり言われてしまった。
せめて「お客さんの要望が多いので品切れになってしまいました。申し訳ありません」と言って欲しいと思った。
「別の南アフリカ産のワインがある」と言うので "VINERUCO ROCK RIDGE PINOTAGE 1999" を飲んだが、美味しい赤ワインであった。

香港で一泊して、成田空港行きのCX便に乗った。
私の座席のサービスは、笑顔が少し不自然な日本人のスチュワーデスさんであった。
食事の注文を聞きに座席を回っていたが、私の座席の前まで注文を聞き戻ってしまった。
しばらくして注文を聞きに来たのは、香港人のスチュワーデスさんで、英語で「日本食がなくなってしまったので、洋食にして下さい」と言った。
香港発成田行きで、日本食を3回連続食べられなかったことになる。
よくよく考えてみれば、いつも後ろの方の座席にいることに気がついた。

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2010年06月02日

ヨハネスブルグ空港

南アフリカのヨハネスブルグ空港の中は、行くたびに変わっている。
今回、帰国の際にビックリしたのは、出国審査を終えるとそこがショッピングホールだった。
ショッピングホールから出国審査が丸見えなのである。
通常、どこの国でも壁や通路で区切られていると思うが。

ラウンジに入ってフライトスケジュールを見ると1時間遅れと表示されていた。
荷物の整理をしていると、サントンで購入したバッファローのシステム手帳が出てきた。
いつも行くお店で380R(4600円)を320Rにまけてもらって購入した物である。

運よくもシステム手帳の中にタックス・インボイスが入っていたので、税金を戻してもらうことにした。
40R(500円)くらい戻ってくるはずである。
40Rが欲しかったわけではないが、時間があるので悪評高い南アフリカのタックス・リファウンドを試したかったのである。

タックス・リファウンドの申請に行くと、申請者は誰もいなかった。
6人ほどの受付者が暇そうにしていた。
そうそう、このタックス・リファウンドはコーナーの見えにくいところにあり、何人かの人に聞きながらやっと見つけた。
「住居は日本ですね」と聞いて、すぐに手続きをしてくれた。
そして「隣の銀行で両替して下さい」と言って小切手をくれた。

隣の銀行へ行くと5人ほどが並んでいた。
銀行の中には6つの窓口があり、それぞれに人は座っているものの、オープンの窓口は1つだけであった。
1つの窓口では2人の人が座っていたが、一人は新聞を読んでいた。
これでは悪評高いはずだ。
相当に余裕を持って行かないと、ここで長時間待たされるため飛行機に乗れない。

私の前の男性は、少しばかりのR紙幣をドルに交換するのに10分もかかってしまった。
40分ほど待ってやっと私の番になった。
コンピュータで処理しているのだが、「どうしてこんなに遅いのだろうか?」と思ってしまった。
渡された紙幣を見ると290Rもあった。
外の椅子に座って明細書を見ると、購入金額が10倍の3200Rとなっていた。
間違うのも無理はない。
たかが40R(500円)の税金を戻してもらうために、40分もかける日本人なんていないだろう。

ラウンジに戻った。
飲食物のシステムも変わっていた。
従来は飲み物などが自由に取ることができた。
今回は、全てがカウンターの中に入っていた。
当然注文しなければ貰うことができないが、カウンターの中には従業員が一人しかいなかった。
カウンターの前には10人ほどが並んでいた。
ラウンジでくつろげるどころの話ではない。
でもこのラウンジのよいところは、喫煙室があることであった。

荷物をソファーに置いた。
このまま席を離れて飲み物を貰いにいってもよいものか迷っていると、隣の日本人らしきご夫人と目があった。しばらくしていると小学生高学年の子どもさんと日本語で話しをしていた。
日本語で「荷物を見ていて頂けますか?」と尋ねると、こころよく引き受けてくれた。

コーラを飲み、マフィンを食べていると、ご主人が戻ってきた。
「南部アフリカの某国に駐在していて、年末のため日本に帰るのだ」と言った。
この3人連れのご家族が荷物を担いで外に出ようとした。
「SAで帰るのではないのですか?」と聞くと、「パース経由です」と言った。
「ヨハネスブルグで乗り継ぎ、さらにパースで乗り継ぐと、香港経由で帰るのよりも早いのだ」と言った。
「値段も安い」と言った。

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2010年05月30日

南アフリカの床屋さん

南アフリカで撮影した写真に写っている私は、髪がボサボサに伸びている。
数ヶ月も滞在していると、床屋さんへ行かなければならないが、週末は休業でなかなか行くことが出来ないのだ。
ウイークデーに会社を抜け出して行くことになるのだが、予約制のためなかなか時間の調整が難しい。
それに英語で予約するのが面倒なのである。

今回、南アフリカに到着した時は、日本で大風邪を引いていたため床屋さんに行くことも出来ず、すでにボサボサであった。
「南アフリカで床屋さんへ行けばよい」と思っていたが、ついつい行きそびれて、床屋さんへ行ったのは帰国の数日前であった。

夕方、床屋さんへ行った。先約があるというので1時間待たされた。
「シャンプーをしますか?」と聞かれたので、「いりません。カットだけにして下さい」と答えた。
「どのようにしますか?」と聞かれたので、「ミディアム」と答えたが、肉の焼き方の注文ではおかしいので、髪を半分摘んで「ハーフ」と言い直した。
デコボコに刈っているのは分かっているが気にしない。

約15分で散髪は終った。私のようにヘアースタイルを気にしない者にとっては、南アフリカの床屋さんは便利である。
最後にドライヤーで切った髪を吹き飛ばして終了である。
日本の床屋さんのように何度も切って髪を調整しないので、細かい髪が残っていないので痒いということもない。
勿論、髭剃りない。
これで約500円である。
この内容では少し高いかも知れない。
もし髭剃りがあるとすれば、私は拒否するであろう。
もし剃刀で皮膚に傷でもつけられたら、それこそ心配である。
そうエイズ....。

南アフリカには路上の床屋さんもある。
たぶん100円程度で出来るのかも知れないが、白人の方たちは行きません。

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2010年05月29日

南アフリカのダム

ダムに到着した。
ダムといっても向こう岸が見えないほど広い。
このダムにはキャンプ場があり、入り口にはアベンチュラーと書いてある。
アベンチュラーは、南アフリカ内にたくさんあるので、国民休暇村みたいな場所かもしれない。
私は一度だけ、このアベンチュラーに足を踏み入れたことがある。
ロッジがあり、岸辺にはモーターボートが置いてあった。
岸辺には「遊泳禁止」と書いた立て札があった。
数年前、このダムで水泳をしていた子供さんが、鰐に脚を食いちぎられたというニュースが新聞に載っていた。
この鰐は昔からここに棲んでいたのか? 誰かがここに離したのか? 興味がある。
このダムの水は、飲料水や農業用水と使用しているため、人が近づかないように鰐が離されたのかもしれない。

ここ南アフリカでは、乾期にはあまり雨がふらないため、どこの町でも飲料と農業用水用のダムがある。
ダムの水は数年前に来た時よりも少なかった。
数年前は異常気象で、ダムが決壊するのではと思われるほど水が溢れていた。
ここからさらに北へ向かうと、地形のためか気温が2〜3℃高くなり、大きな農場が多くなる。
たぶんここのダムの水を利用しているのであろう。

話しが前後するが、ここに来たのは久し振りであった。
数年前は、危険そうで来られなかった場所である。
「今は危険でない」とも言えないのだが。
数年前、私の黒人の友人が車ごと行方不明になり、数週間後に彼がここから少し北に行った草むらで発見された。
勿論、車はいまだ発見されていない。
車のナンバーが取替えられたか、国境を越えて北の国に運ばれたのかもしれない。
ここ南アフリカは車検制度がないため、盗難車の調査すら難しいのである。

もう少し北へ行ってみたいと思ったが、夕暮れも近いので帰ることにした。
ダムを過ぎると一枚の道路標識が目に入った。
「鹿」や「馬」や「牛」が書かれた動物注意の標識ならば、少しも驚きはしないのだが、何と「カバ」が書かれていた。
まさかこのダムに「カバ」は棲んでいないでしょう。

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2010年05月26日

ある週末のドライブ

日曜日の午後、サントンから田舎町に戻って来て、ロッジに再びチェックインした。
以前にも書きましたが、このロッジは金曜日と土曜日の夜はゴルフで訪れるお客のために、私のような仕事で泊まっているお客は追い出されてしまうのである。

まだ午後の3時であった。夕暮れの7時までには時間があった。
いつもの近くのドライブコースへ行くことにした。
私の好きなドライブコースは、ここから東へ行くイースタントランスバールである。
ここはあまり高い山ではないが山間部で緑が多く、滝なども見られる場所である。
でもイースタントランスバールまでは、ここから3時間もかかり、一日のドライブでもかなりきつい。

そんなわけで、私はよくここから北に40分ほどの所にあるダムまでドライブをする。
このダムの付近は、周囲を低い山に囲まれている。
私は、日本では山の見える田舎町に住んでいるので、山を見ると落ち着くのである。

ロッジを出発して、町は外れの坂道を登り終えると、左手にもう一つの町が見える。
ビルなどの高い建物はなく、朝晩はモウモウと煙がたっている。
ここはかつての黒人の方たちが隔離されて住んでいたタウンで、今でも白人の方たちは住んでいない。
黒人の方たちは、ここの町から歩いたり、ミニバスに乗って白人の方たちの住んでいる町まで働きに行っているのである。
モウモウとたっている煙は炊事の煙で、ここの町は電気が引かれていても、火力に頼っている家庭も多いみたいである。
電気の引かれていない家庭もある知れない。

この町を左手に見て車で走って行くと、広大な大地が続いている。
所々に黒人の方が暮らしている集落や、白人のかたの農場が見られる。
トウモロコシ畑の脇で車を停めた。
トウモロコシの植えられた畝が見えるが、その先端は見ることも出来ないほど広い。
この広大な土地は、今でも白人の方たちが所有しているのである。

遠くの空地では黒人の子供たちが、そまつなゴールをめざしてサッカーをしていた。
15人ほどはいるだろう。
ここから人家は3軒ほどしか見えない。
一体、彼はどこに住んでいるのだろうと思ってしまった。
遊び疲れた彼らは、1時間もかけて、歩いて自宅へ戻るのかもしれない。

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2010年05月24日

ウエルカム・ディナーへ行く

コンピュータのセットアップや、昔から置いてある荷物の確認で一日が過ぎてしまった。
ときどき誰かが「お帰り」と声を掛けていった。
「さあ帰ろうか?」と思っていると電話がかかってきて、「部屋にあるコンピュータの準備ができた」と言ってパスワードを知らせて来た。
コンピュータにログインは無事に出来たのだが、プリンターの設定がされていず、設定までに30分も待たされてしまった。
このように頼んだ仕事はどうにかやっておいてくれるのだが、何かが抜けている。
「コンピュータに社内ランでメールが受信できるようにして、印刷も出来るように設定しておいて下さい」と頼まなければならないのである。

夕方は現地の友人5人に連れられて、ウエルカム・ディナーへ行った。
彼らは私のことなど忘れたようにアフリカーンス語でお喋りをしている。
時々思い出したように私に声を掛けてくる。
「料理の味はどうだい?」とアフリカーンス語で。
「バイエ・ラッカー(旨いよ)」と応えてはみたものの、魚に添えられているライスまで食べきることが出来なかった。

「トッツィンス(さようなら)、ラッカラ・スラープ(おやすみ)」。
アマゾンというレストランの駐車場で別れたのは夜の10時頃であった。
食事とお喋りで3時間半も過ごしたのである。
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2010年05月23日

新聞屋の黒人のおじさん

自分で車を運転して会社へ向かった。
日本の会社へ行くよりも自然に感じるのはなぜだろうか? 
日本と南アフリカに、私という、全く違う人間がいるように思えた。
日本で生活する自分が別の自分のように思えた。
「こんな生活も悪くはないな」と思った。
このカーブを曲がるとロボット(信号)があるはずである。
ロボットで右折すると広い道路に出る。
そして時速60キロの標識がある。まるで昨日もその前の日も通った道のように思えた。

会社の駐車場に車を置いて外に出ると、顔見知りが「いつ帰って来たの?」と声を掛けてきた。
新聞屋の黒人のおじさんが、「明日から新聞をオフィスに届けるよ。シチズンだったね」と言った。
「ああは言っていたが、たぶん新聞が来るようになるのは数日後からだろう」と思った。
新聞が来ても殆ど読む時間がない。
新聞は一部3R(36円)である。
このおじさんへの寄付だと思っている。
それにしてもこの会社の入り口で何部の新聞が売れるのだろうか? 
新聞、雑誌それにお菓子などを売って生活が出来ると思うと不思議である。
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2010年05月22日

カントリークラブでの朝食

7時になったのでカントリークラブのレストランへ行った。
隣のテーブルで、20歳代後半の2人お兄さんが話しをしていたが言葉がわからなかった。
「アフリカーンス語か?」と思った。
「ここから少し離れた町から長期出張で来ていて、たぶん金曜日の夕方に家に帰り、月曜日の朝に戻ってくるのだろう」と思った。
工事などでけっこうホテルやロッジに宿泊して週末だけ帰る方が多い。
以前、私があった人たちは、近くのキャンプ場に車ごと入って、キャンピングカーとバンガローで生活していた。

キョロキョロとこの2人見ていましたら、「何処からきたのですか?」と英語で聞かれたので、「日本からです」と答えた。
「どこから来たのですか?」と私が聞き返すと、「オランダ」と言った。
そして「仕事でしばらく滞在している」と言った。
お兄さんたちが話していた言葉はオランダ語だったのである。
アフリカーンス語はもともとオランダ語から生まれた言葉である。
アフリーカーンス語とオランダは同じ単語もあるみたいだが、同じスペルでも発音がかなり違っているみたいである。
南アフリカの現地の知人の話では、「でもコミュニケーションは出来る」と言っていた。

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2010年05月21日

カントリークラブの朝

昨夜は23時頃に寝たのに、早朝の4時に目が醒めてしまった。
南アフリカ最初の昨日は3時に目が醒めた。
たぶん明日は5時頃に目が醒めて、時差ボケはなくなるだろうと思った。
ベッドの中でウトウトしていると、遠くで「ゴトゴト」という貨物列車の音が聞こえた。
この音は前回の滞在時にも聞いていた音で、いつもこの音で目が醒めていた。
この貨物列車はこの町を通り、インド洋沿いにあるリチャーズ・ベイという輸出港へ行っている。
リチャーズベイは南アフリカの小さなで輸出港で、石炭などを製品を輸出している港である。

ベッドの中でウトウトしていると、今度はゴルフ場で鳴く「カー、カー」という鳥の鳴き声で起こされた。
「カー、カー」と鳴くがカラスではない。
嘴の長い鳥で芝生の根っこに嘴を突っ込んで虫を食べているみたいである。
窓の外を見ると、空は夏だというのにドンヨリと曇っていた。
「今は初夏なのか?」と疑いたくなるほどだった。
窓を開けたがさほど寒くない。朝の気温は18℃くらいかもしれない。

ポットでお湯を沸かして、インスタントコーヒーを作って飲んでいると、ヘリコプターのような騒音が聞こえてきた。
テラスに飛び出してみると、何とこれがゴルフ場の芝刈機の音であった。

今日から3週間、このロッジから会社へ通うことになっていた。
ロッジの朝食は7時からであった。
会社は7時30分から始まるが、ここから会社まで車で20分以上かかるので、朝食を食べれば当然遅刻である。
朝のミーティングは8時からなので、その時間までに行くことにした。
どうせ夕方の就業4時にはすぐに帰れないので、勤務時間は帳消しである。

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2010年05月15日

カントリークラブのレストラン

今朝はドライブインでサンドウイッチを食べ、昼食は会社で魚とチップス(フライド・ポテト)を食べた。
もうそろそろ空腹になってもよいのだが、お腹がすいていない。
それよりもとにかく眠い。
時差ボケである。
でも今寝てしまうと夜中に目が醒めて、一晩中寝られないで過ごすことになる。
そして寝付くのは明け方で、会社に遅刻してしまう。
ともかく、カントリークラブのレストランへ行ってみることにした。
明日から毎日、朝食と夕食を食べに行くことになるので、下見をしておくためであった。

10年ほど前は、このカントリークラブのレストランとは賑わっていた。
でも今では寂れていた。
町にマクドナルドやケンタッキーなど、いろいろなレストランなどが出来たからである。
かつては、この町には、このカントリークラブのレストラン、一軒あったホテルのレストラン、それにステーキの旨いレストランぐらいしかなかった。
数年前、この町に滞在している間に、どんどんとレストランやファーストフードの店が出来ていった。

カントリークラブのレストランへ行くと、日本人が珍しいのだろうか、ウエイトレスにジロジロ見られてしまった。
まずは、飲み物にカーソル・ライトというビールを注文した。
「一応レストランなのでスターター(前菜)から注文しなければならないだろう」と思った。
スターターはサラダにするかスープにするか迷ったが、スープを注文したらトーストもついてきた。
もうこれで腹が一杯になったような気がした。

メインは何か食べなければならない。
到着記念なのでステーキを注文することにした。
ウエイトレスにメニューを指差すと、「これはレディサイズで、200gだ」と言われてしまった。
「今日はあまりお腹がすいていない。キディサイズがあればそっちを注文したい」というと変な顔をされてしまった。

ひさしぶりに食べたステーキは硬かった。
結局、120gぐらい食べてギブアップしてしまった。
ウエイトレスが「それしか食べられないのか?」という顔をして、「ドギー・バグ?」と言った。
お土産に持って帰っても犬がいるわけではないし、どうせ食べることもないので断った。
ウエイトレスが「デザート?」と聞いたがもうお腹が一杯であった。
部屋に戻ってすぐ寝るわけにはいかないので、コーヒーを注文した。

毎晩、この調子で食べていては胃がおかしくなってしまう。
「変な日本人だ」と言われるかもしれないが、「明日はメインだけにしようか?」、「それともスターターだけを2つ注文しようか?」と思った。

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2010年05月12日

スーパーマーケットへ行く

ここのスーパーマーケットは、日本の大きなスーパーマーケットと殆ど変わらない。
変わっているとすれば、南アフリカ産のワインがずらりと並び、南国産のフルーツが沢山ならんでいることである。
それに長ネギなど日本の野菜や中国の野菜がないことである。
これらの野菜が食べたくなったら、サントンへ行った時にチャイニーズショップで買ってくるしかないが、いつもあるわけでもない。
そうそう、南アフリカのスーパーマーケットで忘れることが出来ないのは、肉売り場にブルボースという南アフリカ産のソーセージが、トレイの上で不気味にとぐろを巻いて座っていることである。

お気に入りのワイン、コーラ、パッションフルーツの果汁、レモン味の炭酸水(レモネード)、マフィーン、アボガド、洗剤などを買った。
パッションフルーツの果汁は、レモネードで割って飲む予定である。
アボガドはまだ硬かった。
数日部屋に置いておけば柔らかくなるであろう。
半分に割ってワサビ醤油で食べる予定である。

ピックンペイから買物をして外に出ると大粒の雨が降り出した。
車に乗ると空に稲妻が走った。
久し振りの雷である。
一瞬、「何で今頃?」と思ったが、南アフリカは今、初夏なのである。
この時期、一度雷が来ると、翌日もその翌日も、毎日同じ時刻に来るのである。
時々停電になるが、なかなか復旧しない。
「ロウソクを買い忘れた」と思った。

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2010年05月08日

カントリークラブのロッジ

私の宿泊するカントリークラブのロッジの外にはゴルフ場が見えた。
このゴルフ場は、数年前まで滞在していた時は、週末になれば毎日来ていた所である。
でも今回は、3週間の滞在なのでゴルフをする暇もないだろう。
数年前ならば、南アフリカに来て、週末は何もすることがなかったので、ゴルフをすることを楽しみにしていたが、今ではその気も起きない。
歳をとったためだろうか?

部屋の外にはテラスがあり、白いテーブルが置いてあった。
でもこのテラスは鉄格子に囲まれていた。
この鉄格子はゴルフ場から飛んでくるボール避けではない。
勿論、ライオンなどの動物が侵入してこないための動物避けでもない。
この南アフリカでは、猛獣のたぐいが自然の中に棲んでいることは殆どない。
クルーガー・ナショナルパークなどの動物保護区でしか見られない。

この鉄格子は、泥棒などの侵入防止なのです。
私が以前に住んでいた家は、室内にセキュリティーシステムが取り付けてあった。
外出時に何者かが侵入するとアラームが鳴り、セキュリティー会社が掛けつけるようになっていた。
この鉄格子のおかげで、私が動物の檻の中で生活するような気分になってしまった。

部屋の冷蔵庫の中を見ると、当然のことながら空っぽであった。
この乾いた南アフリカの空気の中で生活するためにはコールド・ドリンクが必要である。
町まで車で買物に行ったが、このロッジは町の外れにるため、車で15分ほどかかった。
いつも行っていたピックンペイというスーパーマーケットへ寄った。
ピックンペイは、"Pick 'n Pay" と書く。
英語のようだが、'n は英語の a なので、たぶんアフリカーンス語なのであろう。

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2010年05月02日

カントリークラブのロッジにチェックイン

カントリークラブのロッジはこの田舎町の町営なのかもしれない。
個人経営でないことは確かである。
ゴルフコースの1番ホールに沿ってうなぎの寝床みたいに部屋がある。
私の部屋は一番奥のほうであった。
奥に行くほど新しく、部屋がよいのだという。
部屋の愛称は「ロビン」と書いてあった。
すぐ近くには「アルバトロス」という部屋があり、「来週はこの部屋に泊ってみたい」と思った。

このロッジはウイークデーしか宿泊させないらしい。
週末の金曜日と土曜日は、ゴルフを楽しみに来るお客さんしか泊めないそうです。
日本ならば「もし空室があれば泊めますよ」と言うかもしれないが、それを認めないのが南アフリカらしくて好きである。
週末は何処かへ移動しなくてはならない。どうせ週末は何処かへ行きたいと思っているので好都合である。

部屋は、バス、トイレとシャワー付きであった。
部屋は広く隅にダブルベッドが置いてあった。
ダブルベッドが狭く見えるほど部屋は広かった。
テレビ、電話、湯沸し器、それに冷蔵庫があった。
湯沸し器があれば、日本から持って来たインスタントラーメンを作ったり、パックのご飯を温められるので安心した。
テレビをつけると、アフリカーンス語の放送が流れていた。
「もうアフリカーンス語の放送は少なくなっただろう」と思っていたので以外であった。

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2年ぶりに会社へ行く

約2時間で、これから3週間滞在する予定の田舎町に着いた。
この町は、1995年から5年間、年間の半分以上を過ごした町である。
ひとまず会社へ行って挨拶し、事務室の整理をして、予定の打ち合せをした。

2年間もここにいなかったのが嘘のように思える。
事務室の整理をしていると、顔見知りが「お帰り」と声をかけてくれる。
「元気だったかい?」と聞いてくれるが、もうそれ以上のことは聞いてこない。
まるで週末の休みから戻った月曜日のような雰囲気である。
私のいない2年の間に入社してきた人や、ハウスキーパーのお姉さんが珍しそうに私を見ていた。
「日本人てこんな顔をしているのか」という顔で見ていた。
ハウスキーパーのお姉さんに、「ウンジャーニ(ズールー語でこんにちは)」と言うと、驚いたような顔をして「リコーナ」と返事をした。
驚くのも無理はないだろう。
このハウスキーパーに挨拶をする白人なんて誰もいないのだから。

夕方3時頃、時差ボケのため眠くなり事務室でぼんやりとしていると、一緒に働いている白人の知人が来て、「もう疲れたろうから、カントリークラブのロッジへ行ってチェックインしよう」と言った。
これから3週間滞在するロッジである。
この会社は朝の7時半から始まり、午後の4時に終了する。
「まだ3時ではないか?」というと、「どうせ仕事がないのだろう」と言った。
私は自分のことを気にしているのではなく、この知人が3時に帰宅するのを心配しているのに。
私に付き合うことを理由に、早く家に帰りたいのだろうと思った。
彼らの考えそうなことである。
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2010年04月25日

久し振りの田舎町

南アフリカ最初の夜は、ヨハネスブルグの北にあるサントンという町のホテルに宿泊した。
時差ボケ解消のため、夕方眠いのをじっと我慢して23時に寝たが、まだ夜も明けない3時に目が醒めてしまった。
4時間しか寝ていないが、昨日の昼間は機内で十分に寝ておいたためか、寝不足という感じはなかった。

朝7時にサントンのホテルを出発して、これから3週間滞在する予定の田舎町へ向かった。
ホテルのレストランは朝7時からなので朝食が食べられなかった。
何処かのドライブインで食べようと思ったが、車はN12道路で田舎町へ向かったので途中にドライブインはなかった。
朝食のサンドイッチにありついたのは、約1時間半後の田舎町近くのウルトラシティーというドライブインに着いてからであった。

私は、サントンからM1道路でプレトリア方面に向かい、ここからN4で田舎町へ向かうと思っていたのだ。
この道ならば、ミッドランドという町や、N4道路沿いにドライブインがあるからである。
こんなことならば、昨日、サントンシティーで何か食糧を買っておけばよかったと思った。
昨日の夜は、友人に連れられて日本食のレストランへ行ったが、旅の疲れのためか食欲はなかった。
腹にたまる物といえば、月見うどんしか食べていなかったのである。

N12道路沿いには、小さな新しい家が沢山建っていた。
2年前には建っていなかったので、最近建てたのであろう。
数ヶ月前の南アフリカのニュースでは、持ち家制度を援助するムベキ大統領の写真が掲載されていた。
持ち家制度が着実に進められているに違いない。
ニュースによれば、なかなか順調に進んでいないとも書いてあったが。
道路沿いの草原や畑は、緑一色になっていた。
ここが冬の時期には真っ赤な台地に変わってしまうのが嘘のようである。

道路を走っていても久し振りに南アフリカに来たという感じはしない。
この曇り空は何なんだろうと思った。
12月は、すでにシャワーの季節が過ぎて強い紫外線を浴びるはずだが、空はどんよりと曇っている。
そして肌に湿度さえ感じる。
今までだったら、みるみる肌と唇が乾いてカサカサになるのがわかったが、今回はそれがない。

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2010年04月24日

カジノはやっぱし儲からない

勿論、私はカジノを目的で行ったのですが、すぐに軍資金がなくなってしまった
しかたがないので、スロットマシンに1R(約12円)コインを入れて時間を過ごした。
夜の10時頃、殆ど軍資金も使い果たしてしまったので、イタリアレストランで、美味しいピッツァとスパゲッティを食べてぼんやりと過ごた。
レストランの前の広場ではクリスマスソングがかかり、サンタクロースも来ておお賑わいだった。

夜の11時頃、疲れて動く気力もなくなっていると、知人が向かえに来てくれた。
帰りの車の中で知人に聞いてみた。
「何故、モンテカジノでは銃を持っているかの検査をするのだろうか?」と。
知人ははっきりと答えなかったが、「もしかしたらモンテカジノの中で、銃による事件が起きたことがあるのかもしれない」と思った。

道路は湿っていた。
私がモンテカジノにいる間に夕立が来たのであろう。
道路の信号は、ライトがついていないものもあった。
知人は、「信号のが故障してもなかなか直らない」と行って、スピードを落として左右を確認して交差点に入った。
次の信号は赤ランプがついていた。
車はスピードを落として、左右を確認して交差点に入った。
この交差点で停まるよりも、注意して渡る方が危険のリスクが低いからである。

2年ほど前、週末の夜にサントンシティーに集まっていたような若者たちは、このモンテカジノにもいなかった。
やはり日本の○○族と同じように、一時のブームであったのだろうか?
一年前ほどの南アフリカの新聞によれば、白人の若者達は、黒人の若者達が集まっていたような社交場に集まっているという。
そこのほうが刺激的だからだそうです。

(お詫び:写真は南アフリカの新聞からお借りしました)

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2010年04月18日

モンテカジノ

土曜日の夕方、サントンのホテルの部屋でやることもないのでテレビを見ていると、知人から電話がかかってきた。
「ホテルにいても、もう飽きたでしょう。
夕方、モンテカジノまで送って行きますので準備しておいて下さい」という一方的なものであった。
私のイライラを察してのご好意であったと思う。

夕方7時頃、知人がホテルに迎えにきて、車は北の方向へ向かった。約15分ほどで右手に大きな建物が見えた。
大きな屋内の駐車場で車を降りて、階段をゾロゾロと歩いて降りて行くと、手荷物とポケットの中をチェックされた。
知人は「銃を持っているかの検査だ」と言った。

入口を入ると狭い広場があり、正面の島にスロットマシンが見えた。
この広場とカジノ場との境は、人工の2メートル幅ほどの川があった。
「ここからは見えないが、島の中央ではカードゲームやルーレットが出来る」と知人が教えてくれた。
知人は携帯電話と電話番号の書いてあるメモを私に渡し、「何かあったらここに連絡するように」と言い、「迎えに来る時は電話をする」と言って帰って行った。

左の空を見ると薄暗い夕方であった。
右側の空を見ると夜空であった。
「何故、左と右では空が違うのだろうか?」と思った。
よく見ると、空は作られた天井であった。
このモンテカジノはイタリアの町を模倣して作られたのだそうです。
正式には、モナコ王国のモンテカルロかもしれません。
家族連れの方々が大勢来られていた。
皆さん、カジノが好きだから来るのではなく、ここで食事をしたり、お喋りをしに来るみたいです。

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2010年04月17日

サントンシティーに集まる少年少女たち

1995年、数年振りに南アフリカを訪問して1999年までの5年間、年間の半分以上を滞在した。
南アフリカは、1994年に全人種参加の選挙が行われ、黒人のマンデラ大統領が誕生していた。
1995年当時はすでに、このサントンシティーは週末の営業が行われていたように記憶しています。
このサントンシティーの中を歩く黒人の方々が多くなり、みなさん綺麗な服装をしていた。

1999年の後半、週末のサントンシティーの夜は、若者達で映画館などのある一角は足の踏み場もないほど賑わっていた。
ほとんどが20歳前の若者で、高校生が殆どであったかもしれない。
その半分以上は黒人の方達でした。
夕方になると母親などに車で送られて続々と集まって来た。
若い女性たちは、ミニスカートをはいて、上半身はもう水着と同じような服装をしていた。
通路でアイスクリームなどを食べて、お喋りをしたりデートをしていた。

夜の10時から11時になると一斉にある方向へ移動した。
そう、屋上の駐車場へ向かった。
そこにはご両親が車で迎えに来ていて、家に帰って行った。
このサントンに来るための、タクシーやバスの手段がないのです。
タクシーやバスはあるのですが、黒人の方々の移動用で、白人の方が利用するのはまれで危険きわまりないものだったのです。
ご両親にしてみれば、週末、このサントンに子どもさん送ってくるのは、一つの安心があったのかもしれない。

今回、サントンのホテルで週末を過ごし、何度か夜のサントンシティーへ行ってみた。
9時を過ぎると、人もまばらになり、歩くのさえ怖いようだった。
もしここで襲われたら誰も助けてくれないからだ。
「ここにいた若者は何処に消えたのだろう」と思った。
南アフリカに到着した日、知人から「サントンシティーは安全ですから」と言われたので、ここで大きな事件が起こったとは思えない。
やはり、日本の○○族と同じように、一時のブームだったのだろうか?
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2010年04月13日

サントンシティー

サントンシティーは、5つ星のサントンサン・タワー・ホテルの正面にあり、ホテルから建物の中の通路を通って行くことが出来る。

サントンシティーは、大きな高級品の売っているショッピングモールです。
ヨーロッパなどの有名ブランド店が沢山ある。
南アフリカ産のオーストリッチなどの皮製品も沢山売られている。
南アフリカの民芸品も売られていますが、フリーマーケットで買うよりも数倍の値段です。
しかし粗悪品が少ないため、旅行客に土産品として買われているみたいです。
日本人から旅行やビジネスで来られた方々は、サントンサン・タワー・ホテルか古いサントンサン・ホテルに宿泊して、このサントンシティーでお土産を買っているかもしれない。

私がこのサントンシティーを最初に訪れたのは1992年だった。
当時は、アパルトヘイトは撤廃になったとはいえ、まだ白人政権だった。
このサントンシティーの中は、従業員以外は黒人の方々が殆ど歩いていなかった。
当時の黒人の方々の収入ではとても購入できる代物はなかったのかもしれない。
あるいは、サントンシティーの警備員に、目的もなくウロウロ歩くことを制限されていたのかもしれない。

当時はまだ優雅な時代で、この南アフリカの大きなショップは土曜日と日曜日は休業だった。
金曜日の夕方ともなると、週末のための食糧等の買出しでスーパーマーケットなどは大盛況だった。
このサントンシティーのお土産屋さんですら週末は休みだった。
けれども土曜日の午前中だけ、旅行客を相手に3時間程度オープンするお土産屋さんが何店あり、ここで土産を買った記憶がある。

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2010年04月07日

サントンのホテルのチェックアウト

週末だけサントンのホテルに宿泊しているので、日曜日の午後はチェックアウトをして田舎町に戻らなければならない。
ホテルのチェックアウトに15分もかかってしまった。
ホテルの室内にはミニバーはないので、部屋を確認に行っているわけでもない。
ただ請求書を打ち出すのに、何故こんなにも時間がかかってしまうのか不思議である。

バックパックとコンピュターの入ったビジネスバッグを足元に置いて、靴のつま先で触れてチェックアウトの手続き待っていた。
荷物を盗まれないための防備である。

チェックアウトがあまりにも遅いので、イライラして待っていると一人のアラブ人らしい男が近づいてきて、「ドル....」と言った。
「南アフリカの通貨のランドをドルに交換する」と言っているのが分かった。
黙っていると男は「イングリッシュ」と言ったので、「ノー」と答えた。

たぶん男は、このイライラな状態の私を狙っているのだろう。
ランド紙幣を渡せば、ドル紙幣をかなり高額で交換してくれるかもしれない。
でも彼の手の中で数えられたドル紙幣が、私の手に渡された時は半分になってしまっているかもしれないのだ。
いやいや、私に渡される時にドルの紙幣は減らないかもしれないが、ランド紙幣を数える時にごまかされるかもしれない。
その方がごまかしやすいから。
今、私はチェックアウトをしながら足元の荷物を監視している。
さらに紙幣の交換なんてとてもできない。

チェックアウトを済ませて玄関に向かった。
もう男は話しかけてこなかった。
男は奥さんらしい女性と一緒に違うお客さんを探していた。
「やはり2人組だったか」と思った。
紙幣の交換をごまかされて、荷物も持っていかれれば、ダブルパンチであった。
それにしたって、こんな泥棒をロビーにウロウロさせるなんて、ホテルもどうかしている。
現地の黒人の出入りを厳しくチェックしているくせに。

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