2010年03月08日

南アフリカへ到着

空港へは早めに着いたのでチェックインカウンターはまだ開いていなかった。
1時間ほど待つと、SA(南アフリカ航空)のカウンターが開いたので、チェックインをした。
入国する時は厳しかった荷物のチェックを受けたが、何の検査もなく通ってしまった。
何も殆どないビジネスのラウンジで、クラッカーを食べ、コーラとコーヒーを飲んで時間をつぶして南アフリカへ向かった。

憧れのモーリシャスの旅が終った。
私がもう少し若く、海が好きならば、ダイビングなどで楽しい日々が過ごせるであろう。
海の好きな者が数人で来るならば、海の好きな若いカップルが来るならば、モーリシャスはやはりインド洋のパラダイスである。
海が好きでなくても、若いカップルでなくても、一人でさえ行かなければモーリシャスはパラダイスである。
いつの日か、またどこかの南の島へ行ってみたいと思っている。
今度は家族と一緒に。

8月20日の夜、南アフリカのヨハネスブルグ国際空港に無事到着した。
税関には審査官が一人もいなかった。
ということは、モーリシャスから持ち込むものには課税の対象になるような代物はないということなのだろうか?
税関を通ってロビーに出ると、いつもの黒人の運転手さんが待っていて、「お帰り」と言った。
手には「ようこそモーリシャスから」と書かれたボードを恥ずかしそうに持っていた。
きっと誰かが私のために作ってくれたのだろうと思った。
また4ヶ月間の南アフリカの生活が始まった。


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2010年03月02日

モーリシャスの空港へ

最終日の朝を迎えた。
8時半ごろにレストランへ朝食に出かけた。
もう殆どの家族連れは朝食が終っているらしかった。
一人で食べているアジア系の男性や、女性同士でも食べている人達がいた。
自分と同じ人種がいると思うと安心した。
これならば昨日の朝もレストランへ来ればよかったと思った。
しかし、ルームサービスで小鳥と一緒に食べた朝食も悪くはなかったと思った。

フライトは夕方であったが、昼にホテルをチェックアウトした。
予約書に書いてあった3泊分の宿泊料の他に電話代を請求された。
日本の家と南アフリカへ数回電話した料金が1泊分ぐらいの費用であった。
ある程度料金が高いことは覚悟していたが、予想以上に高いことに驚いた。
何故かルームサービスで食べた朝食の料金は請求されなかった。
代金を支払おうとしていると、フロントの男性が「宿泊はいかがでしたか」と聞いた。
私が「とても眺めのよい部屋でした。一人では広すぎるぐらいでした」と言うと、「マルコポーロクラブで予約したため、部屋がグレードアップされていました」と言った。

ホテルのフロントでタクシーを呼んでもらった。
タクシーの値段を念のためにホテルのフロントで聞いたら「800ルピーぐらいだ」と言った。
タクシーの運転手に空港までの値段を聞くと「800ルピーだ」といった。
来た時は1200ルピーだった。
やっぱりボラレタのかもしれないと思った。
早朝であったため深夜料金だったので打倒な値段だったのかもしれないとも思った。
タクシーは来た時の道とは違い、東側の海岸を南に走って空港へ向かった。
私は是非この海岸沿いの道を走って空港へ行きたかったので満足であった。

タクシーは海岸沿いの田舎道を走って行った。
海は青く穏やかで、小さな漁船の船着場があった。
船着場には、数人が乗るような漁船というよりも小船があった。
海岸沿いの斜面には畑もあり、全くの田舎であった。
東南アジアといわれれば東南アジアと思ってしまうような風景であった。
擦れ違う人々や住んでいる家は、さほど裕福そうではないが、食べていくには不自由しないぐらいの生活の場があるみたいだった。
家族を日本に残して、数ヶ月間も南アフリカへ行く私と、どちらが幸せなのだろうかと思ってしまった。
運転手に「写真を撮りたいので、どこか景色のいいところで停めてくれ」というと、途中で2回停まってくれた。

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2010年03月01日

七色の大地

ツアーのバスは谷を越え、また丘の上で停まった。
アイスクリーム売っている自動車があったのでソフトクリームを買った。
ソフトクリームを食べながら細い道を降りて行くと広い場所に出た。
ここが有名な7色の大地であった。ホテルの部屋においたあった観光ガイドに載っていた有名な場所らしいのだが、この丘の隅に立つと向こう側の隅を見ることが出来る、ほんの狭い場所であった。
この七色の大地は、火山から溶出された鉱物が酸化されて色が七色に変ったのだそうです。

この丘の上を歩いた。
赤茶色の丘の上を歩いたが7色には見えなかった。
日光の具合で色が変るのかもしれないと思った。
すぐ近くにいた子供さん連れのご夫婦に写真を撮ってもらった。
実はこの1枚の写真が、モーリシャスで私が写っている唯一の写真である。
この写真がなければ、私がモーリシャスへ行って来たという証明が出来ないのである。

ツアーバスは山を下り、島の南部の海沿いに出た。ここから西側の海岸を北に向かった。
西側の海岸を走っている時、ガイドが日本人の多く訪れるホテルがあると説明していた。
その説明は、ヨーロッパの方たちのようなリゾートタイプのホテルではなく、バカンスタイプのホテルというニュアンスであったかもしれない。
私はこっちのホテルの方がよかったかもしれないと思った。
でも今になって思えば、一生に一回ぐらいはこの旅行で宿泊したリゾートホテルもよかったと思っている。
もう二度と一人でリゾートホテルへは行かないだろうが。

ツアーバスは西側の海岸から島の中央を横断して、東側の海岸にある宿泊していたリゾートホテルへ戻った。
モーリシャス最後の夜であった。
今夜こそ夕食に行ってみようとレストランに出かけてはみたが、この雰囲気では中に入り込めないこめないと思い返し、部屋に帰り真空パックのご飯を食べた。
勇気を振り絞って、賑やかなレストランの片隅で夕食を取ることは出来た。
でも寂しくレストランの片隅で、一人で食べた夕食の思い出をこのモーリシャスで作りたくないと思ったのである。

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<モーリシャスの主な観光>

○パンプルムース植物園
11万坪の園内には約80種の椰子を含む800種類の植物がある。
60年に一度しか花を咲かせないという椰子、直径1メートル以上もあるアマゾン産の巨大なオオニバスもある。

○水族館
鮫、海亀、珊瑚などモーリシャスの海にに生息する約200種類の魚類などが集められている。

○カゼラ・バード・パーク
2万4千坪の敷地内に約140種、2500羽の鳥が放し飼いにされている。
モーリシャス固有の鳥で絶滅の危機にあるピンク・ピジョンも飼育されている。

○タマリンドの滝
大小7つの滝が重なるように流れている。

○グラン・バッサン
ヒンズー教の聖地として崇められているクレーター湖。
周囲には寺院や沐浴場がある。

○シャマレル七色の大地
火山から噴き出した鉱物が大気との接触によってできた虹色の大地。

○ブラックリバー峡谷
最高峰828メートルのブラックリバー山や原生林に覆われた谷を見ることができる。

ポートルイス市内では、博物館などモーリシャスの歴史に触れることができる。
主なレジャーとして、ヘリコプター・ツアー、クルージング、ダイビング、フィッシング、ゴルフなどがある。
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2010年02月26日

4カ国語を喋るガイドさん

次ぎに小高い丘でバスは停まった。
そこから遠くの谷の向こうに滝が見えた。
こんな高い場所に滝があるのが不思議に思った。
いったい何処から水がくるのだろうかと。
東京都ぐらいの広さの島なので滝があっても不思議ではないのだが、こんな丘の上に滝になる水があることに驚いた。
私がこのモーリシャスに来てみたいと思った一つのキッカケは、今は絶滅してしまったドードーという鳥であった。
昔はこの丘にもヨタヨタと腹を地面に擦り付けながら歩いていたのだろうと思った。

ガイドが車内のマイクでいろいろ説明してくれるのだが、なかなか発音が聞き取りにくかった。
私は観光の本も読んでいなかったので、現地の地名などは全く分かっていなかったためかも知れない。
このガイドはほとんど一日中喋っていた。
しばらくしてから気がついたことであるが、ガイドは4カ国語で説明していた。
つまり同じことを4回喋っていたのである。
フランス語、英語、ドイツ語それにイタリア語であった。
でもフランス語(クリオール語かも)のイントネーションで喋っていたため、私にはいつ違う言語にかわったのかわからなかった。
最初は英語で説明していることさえ気がつかないでいたのだ。

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2010年02月24日

モンキーカレー

ツアーのバスはどんどんと山の上に登って行き、昼食は小高い山の上にあるレストランに寄った。
もう昼食なのか? まだ殆ど観光をしていないではないかと思った。
もしかしたらショッピングだけでツアーが終ってしまうのではないかとも思った。
モーリシャスには観光する所などないのだろうか? 
でもホテルの部屋の観光ガイドに載っていた”七色の大地”にはぜひ行ってもらいたいと思った。

レストランでは、女性のガイドのお勧めでモンキーカレーを食べた。
辛くないカレーといったほうがよいかもしれない。
バナナなどのフルーツが入っているカレーであった。
このモンキーカレーは注文するとすぐに出てきた。
ガイドがモンキーカレーを勧めていたが、味が美味いというよりは早く食べられるためだと思った。

余談であるが、南アフリカのダーバンなどでもカレーを食べた。
でもあまり辛くなかった。
私はあまり辛いのが好きでないので、ちょうどよかった。
南アフリカの中華料理なども少し甘めであり、南アフリカでは甘めの方が好まれるのかも知れない。
南アフリカにいる日本人の知人の話では、南アフリカのインドカレーはさほど辛くないと言っていた。
嘘か本当かは分からないが、インドは南部の方が辛いのだそうです。
南アフリカに来ているインド人の方は、インド北部の方が多いのだそうです。
南アフリカのカレーはあまり辛くないと言っていたが、数年前に食べたサントンサンホテルで食べた野菜カレーは辛かった。
5分の1ほどしか食べられなかった。
日本人の友人は「そんなに辛くないよ」と言って平気で食べていたが。

レストランの中は混んでいた。
どこのテーブルの席に座ったらいいのか困った。
一緒のツアーで来た男性二人連れの2組と私の5人で座った。
4人はそれぞれ話しをしていたが、私は無言であった。
何か尋ねられれば片言の英語で話しもできたが、こちらから話しかけることも出来なかった。
彼ら自身が英語で話していないのだから。
ドイツ語のようでもあったが、違うような気もした。
彼らは一人の私をどう見ているのだろうと思った。
不思議な奴だと思っているのだろうと思った。
私はこの2組の男性のペアを見て思った。
なぜ男性のペアなのだろうかと。他の観光客は殆どがご夫婦らしいのだが。
2組の男性ペアと一人の男。
このモーリシャスのツアーでは、はたから見れば奇妙なテーブルであったかも知れない。

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モーリシャスのヒンズー教寺院

街の中をブラブラと歩いた。
一緒に来た他の観光客もやることがないらしく、ブラブラと歩いていた。
派手な柄のTシャツと貝や珊瑚で作ったお土産が多かった。
私は1メールほどの帆船のモデルシップを探していた。
精巧に出来たモデルシップがどの店でも売られていた。
おそらく日本の10分の1ぐらいの値段であったと思う。
1艘買おうと思っていたのだが、これから南アフリカに行って、日本に持ち帰ることを考えると無理そうだった。
機内に持ち込むには大き過ぎるし、荷物を預ければ値段がかかりすぎそうだった。
日本の持って帰るまで壊れないという保証はどこにもなかった。
もし無事に家まで持って帰ったとしても「こんな大きな物を家の何処におくのよ」と言われて、壊される危険性すらあった。
小さなモデルシップを探したが、小さい物はそれほど精巧ではなかった。
小さなモデルシップなら少し値段が高くても日本で買えそうに思った。
しかし、日本に帰って数年経っているが、まだ買っていない。

最初に行った観光先はヒンズー教のお寺であった。
お寺の前には大きな池があり、池の真ん中に像が立っていた。
ここがモーリシャスのヒンズー教の聖地なのかもしれないと思った。
お寺の中は土足厳禁であった。
私が靴を脱いで中に入ると、一緒に来た白人の観光客たちも靴を脱いで中に入った。
床が石で出来ているため、冷たかった。
番人をしていたインド人の方に「ナマステ」と挨拶をしたが、返事がなかった。
モーリシャスのインド人の方は、祖国の言葉は忘れてしまったのかも知れないと思った。
インドにはもの凄い数の言語があるそうで、このインド人の方は別の言語を話しているのかも知れないと思った。

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2010年02月20日

南部観光ツアーへ行く

昨日の朝食の時間は少し早かったので、今日の朝食は30分遅らせた。
雀が窓際まで来て「今日の食事はなぜ遅いのか?」というように鳴いていた。
今日はモーリシャスの南部観光ツアーである。
ホテルに一日中いることを考えると気が楽であった。

定時に大きめのマイクロバスがホテルに迎えに来た。
まずはDFSへ連れて行かれた。
観光に行く通り道なのかも知れないが、それにしても最初からDFSとは。
何も買う物がないのでただ見て廻った。
ダイヤモンモンドが安かった。
南アフリカ産らしいが、日本で買う値段の3分の1ぐらいらしい。
ダイヤモンドは空港渡しと言っていた。
カシミヤのセーターが安かった。
カシミヤのことはよく知らないが、インド北部のカシミール地方産が有名らしい。
おそらくインドからの移住者と一緒にモーリシャスに来たのだろうと思った。
ツアーバスはここのDFSに1時間ぐらい停まっていた。
何も買う予定がないので店内を20分も見て廻るとあきてしまった。
駐車場でぼんやりと外の景色を眺めていた。

次ぎは市内へショッピングに行った。
ここでも1時間ぐらい停まっていたかも知れない。
ショッピングばかりで、なんというツアーなのかと思った。
一人で大きな建物の中にあるマーケットに行った。
魚市場の匂いとインドの香料の匂いが入り混じっていた。
あまりの匂いの強さに気持ちが悪くなってしまった。
郵便局を探して中に入った。
記念切手のセットを買うつもりでいたが、なかなか言葉が通じなかった。
「切手を見せて欲しい」と言うと、通常使用している2種類の切手を見せられた。
記念切手が欲しかったのだが。
この2種類の切手を1シートずつ買った。
記念切手は帰りに空港で買えばよいと思った。

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2010年02月10日

<モーリシャスの紹介>

正式国名はモーリシャス共和国。首都はポートルイス。
ロドリゲス島はモーリシャスの東563km、カルガドス・カラホス諸島はモーリシャスの北東395km、アガレガ諸島はモーリシャスの北1200kmにあり、インド洋の広範囲に散らばっている。全面積は2045平方kmで東京都とほぼ同じ。
総人口は約110万人。インド系68%、クレオール系28%、中国系3%、白人系1%。
宗教は、ヒンズー教徒50%、キリスト教徒31%、イスラム教徒16%、仏教徒3%。
公用語は英語。日常会話はフランス語とクレオール語が主流。ヒンディー語、中国語なども使われている。

モーリシャスの歴史の始まりは多くの謎に包まれている。975年にアフリカ大陸を目指してイランの商人が発見したとも言われている。
1510年、ポルトガル人がヨーロッパ人として始めて発見。
1598年、オランダ船が暴風雨のためモーリシャスに避難。その後、食料補給基地として殖民を開始。1652年に喜望峰が発見され、1710年にオランダ人は撤退。
1715年、フランスが国王ルイ15世の名のもと占領し、フランス島と改名。
1810年、イギリスがフランスを破り支配下にした。イギリスの総督はフランス人の信頼を得るためフランス人の習慣を尊重した。
1968年、イギリス連邦下の一国として独立。

首都ポートルイスはフランス植民地時代に、1936年から建設された。中心地には街づくりなど後世に名を残す数々の業績を挙げたラブールドネ総督の銅像の立つアルム広場がある。シャン・ド・マルス競馬場は世界でも2番目に古い歴史を持つ。
おもなお土産品はダイヤモンドの指輪、モデルシップ、紅茶、アンスリウムの花、Tシャツ、ラム酒、切手などがある。

ダイヤモンドは南アフリカ産だが、値段は日本の約3分の1らしい。
モデルシップは帆船で極めて精巧に出来ている。一つ買いたいと思っていたが、運搬の問題がありそうなのであきらめた。モーリシャス航空は機内持ち込みが出来ず、別料金が取られるらしい。
暖かい島で以外だったのがカシミアのセーターであった。
私が買ったのは葉書と切手だけ。それとフィルムケース入れた海岸の砂が土産でした。砂か石を持ち帰るのが趣味なのです。飛行機に乗る際に何度となくセキュリティー・チェックに引っ掛かっている。

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2010年02月07日

セガダンス

午後の4時にホテルへ戻った。
午前11時に出発したのだから5時間かかったことになる。
タクシーの運転手は「ウオーターフロンで2時間、片道1時間」と言っていたが、帰りの道路が混んでいたためであろう。
運転手は追加料金を請求しなかった。
たぶんポートルイスで2時間待っているのが、運転手の言った料金なのだろうと思った。

まだ高い太陽の下で日光浴をしたが、夕食のことを考えるとまた憂鬱になった。
夜になり、今日こそはレストランで食事をしようと思ってレストランへ行ったが、入ることが出来ず戻って来た。
こんなことならばポートルイスで食料を買ってくるべきだったと反省した。
レストランで食べれば無料と思って、買ってこなかったのだ。
日本にいる時は結構むだ使いをしているのに、海外へ行くとお金に細かくなってしまう。
特に東南アジアに行ったときなどは、100円あればと思うとついついけちになってしまう。
昨日と同じに真空パックのご飯を食べ、朝食はルームサービスを注文した。

今夜は楽しみにしていたセガダンスが見られる日であった。
このセガダンスは毎日見られるわけではなく、週1回しか開催されないらしい。
毎日違うホテルを廻っているらしかった。
22時頃になると陽気な音楽が流れてきたので、ダンスを見に出かけた。
屋外のバーの客はセガダンスの舞台の方を向いて座っていた。
隅のイスに一人座って周囲を気にすることもなく見ることができた。

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2010年02月04日

首都ポートルイス

ホテルを出発して、15分ほど行くと少し賑やかな街についた。
運転手は「ちょっと待っていてくれ」と言って車を止めて道路沿いの家の中へ入っていった。
どうやら自宅らしく「これから商売でポートルイスまで行ってくる」と報告に行ったのかもしれない。
この街は、あまりうまく表現できないが、道路の両側にびっしりと家が建ち並んでいて、マレーシアの田舎で見たような街であったかもしれない。

運転手は片言の英語で説明してくれた。
英語と言っても英語の名詞ばかりであった。
ヒンズー教のお寺がいたるところにあった。
運転手がヒンズー教のお寺があるたびにスピードを落として見せてくれた。
キリスト協会もところどころにあった。
道路脇の所々には箱型の家が並んでいた。
そこに住んでいる人たちの顔は、どう見てもクリオール人というよりはインド人であった。
インドの田舎道でみた風景にそっくりで、ここがインドといわれても不思議ではなかった。

運転手が「ポートルイスのどこで降りる」と聞いた。
「わからない。どこか見学できるところで」と言うと、運転手が「ウォーターフロントがいい」と言ったので、そこまで行ってもらった。
運転手は駐車場まで行き、私の腕時計を見て「ここに何時何分までに戻って来るように」と言った。

ウォーターフロントから見える港には漁船が何艘かとまっていた。
朝方に雲っていた空は真っ青に晴れていたが、風が強かった。
すぐ前が海なのに、不思議と潮の匂いがしなかった。

ウォーターフロントの小さなショッピングモールの中を歩きまわり、ウインドショッピングをして葉書を2枚買った。
切手も買って、日本の住所の自分宛てに葉書を1枚出した。
いつものようにエアーメールにしなかった。
私は船便で1ヶ月後ぐらいに届く絵葉書が好きなのだ。
たまには届かない絵葉書もある。
そのため最も気に入った同じ絵の葉書を2枚買うという、他人から見れば信じられない癖がある。

ウォーターフロントでは、中国系の人たちを多くみた。
中国系の旅行者らしい人たちもいた。
この近くのホテルに泊れば楽しく過ごせたかもしれないと思った。
カジノに行ってみたいと思っていたのだが、ガラガラに空いているみたいなので、入り口を覗いただけで寄らなかった。

30分ぐらいかけてカフェのベランダでピザを食べ、コーヒーを飲んだ。
ここで1時間ほどユックリ過ごすつもりでいたが、折角ここまで来てカフェで時間をつぶすのももったいないと思い、市内観光をしようと思った。

ウォーターフロントを出て、交通量の多い道路をようやく横切った。
横切った先はバスターミナルで、広い敷地に10台ほどのバスが止まっていた。
百人以上の人がバスを待っていた。
食べ物屋やオープンマーケットを覗き見した。
斜めの道を登っていくと、その斜面ぞいに都会らしい店がならんでいた。
商店の並んでいる前の歩道には、溢れるほどの人たちがいた。
強盗に襲われたらどうしようと心配したが、ナップサックに入れた荷物は安いカメラだけなので盗まれたらあきらめようとおもって、雑踏の中を歩いた。

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2010年02月03日

首都ポートルイスへ行く

食事をして、本を読みながら日光浴をした。
昨日頼んだフライトのリコンファームの返事がこなかった。
やっぱりこんなもんかと思った。
電話帳でSA(南アフリカ航空)を探して自分で電話をした。
SAの営業所みたいなところが出て、フライトのリコンファームの電話番号を教えてくれた。
なかなか英語が通じなかったが、何度かフライト日とフライト番号を言うと、「OK」と言ったのでひとまず安心した。

ホテルで今日一日はユックリしていたいと思ったが、もうモーリシャスへは来られないだろう。
何処かへ行ってみたいと思った。
少なくとも首都のポートルイスぐらいは行ってみたいと思った。
フロントに行って「タクシーは何処で呼んでもらえますか」と聞くと、ホテルの外にいたポーターにタクシーを呼びに行かせた。
いつもの通り念のためフロントでタクシーの値段を聞くと「おおよそ800ルピーだ」と言った。
タクシーはホテルの外でずっと待っているみたいで、一体どのくらいの乗客が乗るのだろうと心配になった。
もしかしたら一日待っていてもお客が付かないこともあるのかも知れない。
何日かに1回、空港に送って行ったり観光に行ければ、彼らの商売は成り立つのだろうと思った。

タクシーに乗る前に運転手に「ポートルイスに行ってくれるか」と聞くと、「行く」と言った。
値段を聞くと「何時間、ポートルイスにいるつもりだ」と聞かれた。
どういう意味のことを聞かれているのかわからないでいると、「ポートルイスについて2時間待っていてくれ、その値段が800ルピーだ」と言った。
ポートルイスまでの時間を聞くと「片道1時間」と言った。
つまり4時間タクシーを借りきって800ルピーということがわかった。

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2010年01月30日

モーリシャスで一人で食べた朝食

翌朝、7時30分に頼んでおいたルームサービスが7時20分に届いた。
部屋の外に運んでもらい、海を見ながら朝食をとった。
トーストにクロワッサンなどのパンがあった。
ハニーに何種類かのジャム。
ジュースにフルーツにヨーグルト。
コーヒーにミルク。
綺麗な赤い花が添えられていた。
まるで観光のパンフレットに載っている写真のようだった。
もしかしたら私はこんな朝食に憧れていたのかもしれないと思った。
でもよくよく考えてみれば赤い花以外はオーダー用紙に私がチェックを入れていたのだ。
値段は150ルピーと書いてあって、オーダーの制限は書いてなかったので、あれもこれもとチェックを入れていたのである。

どこからともなく何種類かの鳥がテーブルの近くまでやって来た。
雀はテーブルの上まで来てパンをねだった。
まるで私が一人だというのを知っていて、遊んでくれているようだった。
黒い鳥は恐々と様子をうかがっていて、私が姿を隠すとテーブルの上までやってきてパンを食べていた。
雀はその国によって模様がかなり違う。
しかし不思議と色が似ていて鳴き声も似ている。
飛び方も似ている。
雀なのだからあたりまえなのかもしれないが。
南アフリカの家に行っても、まだハタオリ鳥は来ていないだろうなと思った。

話しは全くの余談になるが、私はキング・フィッシャーという鳥が好きなのです。
そうカワセミという鳥です。
南アフリカでキング・フィッシャーを見た時は、本当に感激してしまいました。
たかが鳥ぐらいで.....。
私たちはバードウオッチングと言いますが、南アフリカの人たちはバードミーティングと言うのです。
私はこの言葉が好きなのです。
私の住んでいた南アフリカの街は、冬はとても寒くたまに氷がはりました。
春になると黄色に黒い縞模様の入ったハタオリ鳥がやってきて庭の高い木に巣を造りました。
私はこのハタオリ鳥が来るのを首を長くして待っていました。
このハタオリ鳥がやって来ると春が来るのです。

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2010年01月29日

高かったモーリシャスの電話代

モーリシャスはタバコの値段が高い国であった。
入国の際にアルコールをチェックされたとこを見ると、ウイスキーなどのアルコールも相当高いのかも知れない。
もう一つ高かったのが国際電話であった。
日本と南アフリカへ何回か電話をしたが、1万円ほど取られてしまった。
昔ある本を読んだ時、旧植民地の電話事情は悪く、本国(宗主国)経由で繋がることも多いらしい。
ということは、このモーリシャスはフランスを経由して繋がっていたのかも知れない。
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2010年01月22日

モーリシャスでの初日は何もせず

今日は何もできないだろうとホテル内を探索していたところ、貸し自転車があった。
一日200ルピーだった。昼ころからでは行くあてもないし、地理もわからないのでホテルの外を散歩することにした。
あとでわかったことであるが自転車で30分ほど行くと小さな街があった。
今になって思えば自転車で行って見るべきであった。
でもあの時は相当疲れていたため自転車に乗る気がなかのであろう。

ホテルの前の道路を渡るとゴルフ場であった。
このゴルフ場は私の宿泊していたホテルの施設であり、宿泊者は無料と書いてあった。
明日9ホールぐらいプレーしてみたいと思って下見に行ったのだが、あまりに空いていて一人でプレーする気も起きなかった。
誰かが「一緒にプレーしましょう」と言ってくれるのを期待していたのだが。

ホテルへ戻ろうとすると、木陰の広場で待っているタクシーの運転手の誘いがあったが断った。
ホテルの近くは全く民家も商店もない所だった。
その田舎道を海を見ながら2時間ほどブラブラと歩いた。
途中でリゾートホテルが一つだけあったのでチョット寄ってみた。
入り口のゲートに守衛がいたが何も言われなかった。
ゲートから約300メートルほど歩いて行くと玄関があった。
玄関はひっそりとしていて、ロービーに何もなさそうなのですぐに戻って来た。

部屋に戻るとウエルカムのフルーツバケットが置いてあった。
近くに昼食するところもなさそうだったのでフルーツですませた。
ゆっくりと外の白い椅子に座り、波の音を聞きながら読書をしてすごした。
明日は何をしようかと考えたり、リコンファームはやってくれただろうかと考えたりしていると、読書をしていても殆ど何を読んだのかもわからなかった。
リゾート地でのんびりしようと思って来たが、このモーリシャスはもう来ることはないと思うと、いろいろな物を見ておきたいという気持ちが強くなった。
私は賑やかなところで一人で過ごすのは好きなのだが、静かなところで一人で過ごすことが苦手なのである。

きれいな夕陽が沈み夜になった。
レストランへ向かった。
しかしここはリゾート地であり、若いカップルや家族連れがワイワイと夕食をしていた。
とても一人で入って行ける雰囲気ではなかった。
しかたなしに部屋へ戻り、持っていた真空パックのご飯で食事をすることにした。
残念なことに湯沸器がないために温めることができなかった。
洗面所のお湯で30分ほど温めたが、少し硬かった。

今朝はレストランの隅の方にあるテーブルで一人侘しく食事をした。明日の朝もこれではやりきれないと思った。
確かルームサービスがあったはずである。
150ルピーと書いてあった。レストランへ行けばただだが、もったいない気もしたが注文することにして、ドアのノブに掛けておいた。

テレビは四カ国後のムービーをやっていた。
英語、フランス語、ドイツ語、イタリア語であったと思う。
英語のムービーは古いイギリスのホームドラマで面白くなかったので、言葉はわからないがフランス語のムービーを見ながら寝てしまった。
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2010年01月16日

モーリシャスでのリコンファーム

大きな風呂にお湯をはり、ゆったりと身体を休めた。風呂からあがり今日は何をやろうかと考えた。
まずは南アフリカ行きのフライトのリコンファームをしておかなければならない。
南アフリカのヨハネスブルグ行きのSA(南アフリカ航空)便は週に数便しかないはずであり、空港に迎えの車も手配してあるし、もし乗れなければ一大事である。

風呂から出てサッパリするとタバコが吸いたくなった。
シンガポールでタバコを買おうと思ったが、現地で買った方が安いと思って持って来なかったのだ。
残っていた数本はチェックインの時に部屋に案内してくれた青年にあげてしまっていた。
廊下で擦れ違ったハウスキーパーに「何処でタバコを売っているか」と聞くと、「プールサイドのバーで売っている」と言った。
タバコを3箱買った。タバコの値段はよく覚えていないが、1箱が日本円で500円ぐらいしたかもしれない。
モーリシャスはタバコの葉を栽培しているので安いと思っていたのだが、こんなに高いのなら持って来るべきだったと反省した。ホテルだったから高かったので、街で買えば安いのかもしれないが。
街ではモーリシャス産の安いタバコが売られていたのかも知れない。
物価が日本の数分の1とするならば、極めて高給品である。
買った煙草を開けてみるとヨーロッパ産のタバコに巻いてある紙が黄ばんでいて、相当古い物でタバコの味などしなかった。

レセプションに行ってどこでリコンファームが出来るか尋ねると、ロビーのデスクに座っている女性に頼めばよいと言われた。
しかし、そこのクリオールの女性は、30分以上延々と電話で話していた。
その口調からして話の内容も仕事とは思えなかった。
やっと電話が終わったと思ったら白人の女性が来て、また延々と話しをしていた。
1時間ぐらいあたりを見学しながら待って、しびれを切らしているとレセプションの男性が来て「どうしたのか」と聞いた。
「フライトのリコンファームをしたい。彼女が忙しそうなので待っている」と言うと、航空券のコピーをとって「あとで頼んでおく」と言った。
私もこのペースでは本当にリコンファームしてくれるか心配になったので「必ず返事をもらいたい」と念を押すと、「あとでメッセージをくれる」と言った。

そのレセプションの男性に「ツアーの申し込みはどうしたらよいか」と聞くと、「外のロッジでやっている」と言うので、そこを尋ねた。
ロッジの受け付けカウンターの小柄なクリオールの女性に尋ねると、「一日一つのツアーしかない」と言われた。
「今日のツアーはもう出発してしまった」と言われた。
「明日は植物園とショッピング、明後日は南部の観光とショッピングだ」と言った。
「植物園は半日強。南部の観光は一日で昼食付きで1050ルピーだ」と言った。
どうせ暇なのだし自然を見ることができるので明後日の南部の観光を予約した。
受け付けの女性は私の予約が終ると、今日のツアーは出発していまい、もうやることがないのか書類を片付けて、4歳ぐらいの可愛い女の子を連れて帰って行った。

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2010年01月14日

モーリシャス初日の朝食

私の部屋のある建物は日本のアパートのようになっていて2階建てであった。
各階に2室あり、私の部屋は1階であった。
部屋の正面の庭には芝生が植えられていて、10メートルほど先にヤシの木が植えられていた。
その先の石垣を降りると水辺まで50メートルほどの砂浜であった。
砂浜は貝殻と珊瑚で真っ白であった。
砂浜を歩いてみると、1戸建ての日本のキャンプ場のバンガローみたいなロッジもあった。
部屋数が多いアパート形式になっているものもあった。
どう見ても私の部屋が一番大きな部屋のように思えた。

朝の7時になったのでレストランへ行った。
入り口でウエイターにルームキーに書かれている部屋番号を見せると、席を探して何故か不思議そうな顔をして「昨夜はどうしたか」と聞いたので、「朝到着した」と言った。
どうやら部屋ごとに席が決められているみたいであった。
当然、今朝着いたのだから席はなかった。
番号札の置かれてない席に案内された。
バイキングスタイルだったので席を立って食べ物を皿に取り、卵焼きを注文した。
そこで焼けるのを待っているとウエイターが何か言った。
たぶんフランス語だったのであろう。
英語で「何ですか」と聞き返すと、ウエイターは英語で「出来たら席に運びます」と言った。
部屋の番号を聞かれただけで、あとで席まで運んでくれるという。
サービスのよさに面食らってしまった。

海の見える席で一人で食事をした。
食事が終り「サインが必要か」と聞くと、ウエイターは「いらない」と言った。
席を立とうとした時に、ウエイターに「レディーは来るのか」と聞かれた。
「いない」と言うと不思議そうな顔をした。
このようなリゾート地へ一人で来る者などいないのだろうと思った。

部屋に戻り予約書のコピーをよく読むと、ハーフボードといって、宿泊料は朝食と夕食が込みの料金だということがわかった。
私は今まで予約書すらよく読んでいなかったのである。
部屋の外を見ると、10メートルほど先のヤシの木の下に数人が来て日光浴を始めていた。
どうやら私の部屋の前はヤシの木陰があり、かなり景色のよい所らしく、早朝からこの場所を選んでやって来るみたいであった。

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2010年01月08日

私のモーリシャスのホテル予約

私はモーリシャスに来ることを決めた時、ホテルをどこにしようか調査した。
最初に思いついたのが、南アフリカの新聞に広告掲載されていたホテルである。
でも南アフリカ人の友人が新婚旅行に行って「あまりきれいな部屋ではなかった」と言っていたのであきらめた。
本当は日本から南アフリカの旅行会社に連絡して、英語で予約するのが面倒だったのである。

次ぎに見つけたのは、日本の旅行雑誌やモーリシャス観光協会から入手したパンフレットであった。
これらの本やパンフレットには、モーリシャスの西海岸や北西海岸のホテルが紹介されていた。
あるホテルは日本人のスタッフも滞在しているらしかった。
チョット値段は高かったが、このうちのどれかのホテルに決めようとしていた。

たまたま見たキャセイパシフィック航空のマルコポーロクラブの資料に、モーリシャスのホテルが載っていたのである。
数年前までキャセイパシフィック航空はANAのマイレージクラブに参加していたが、それとは別にマルコポーロクラブというのがあった。
フライトすると両方にマイルをカウントしてくれた。
(マルコポールクラブはマイルではなく、キロメートルであったかも知れない)
マルコポーロクラブへは、日本とヨハネスブルグの間を1年で1往復半する距離をフライトすると入会することが出来たと思うが、記憶が定かではない。

マルコポーロクラブは無料航空券などの特典はなかったが、香港のいろいろの情報を送ってくれたり、年間に数枚の10kgの荷物バウチャーをくれた。
このクラブには入っていると、かなりの量の食料や土産品を運搬することが出来る利点があった。
また世界各地のホテルなどと割り引き利用の契約をしていた。
グレードの高いホテルと契約していたため宿泊料は決して安くなかったが、特約料金で泊ることが出来たのである。
これらのホテルの予約は、利用者が直接ホテルとすることになっていた。
当時はマルコポーロのデスクが日本にもあり「英語が苦手なのでホテルを予約できない」と言うと、親切な女性のコーディネーターの方がホテルを予約してくれたのである。

その後、キャセイパシフィック航空はANAのマイレージグループから離れてしまい、ワンワールドにマーレージがカウントされるようになった。
現在ではJALのマイレージにカウントすることが出来る。
マルコポーロクラブは現在でもあり、いろいろな資料が送られてくる。

(現在ではマイレージグループは変更されているかもしれません)

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posted by southafrica at 21:03| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | モーリシャスの旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月29日

ベル・マール・プラージュ

玄関に入り、ブザーをならすと青年が眠そうな顔をして出てきた。
運転手は親切にも青年が現れたことを確認して帰って行った。
肌の色は黒いが黒人ではない。ヨーロッパ人やアジア人との混血なのだろうが、ハーフとは表現しにくい。
クレオール人というのがこういう人達なのだろうと思った。
キャセイパシフィック航空のマルコポーロクラブから送られてきたホテルの予約書を見せた。
「早朝のチェックインなのでエクストラチャージと取るのか」と聞くと、青年は「4時5分の空港着でチェックインになっているので、いらない」と言った。

早朝のためポーターもいないようであった。
彼が荷物を持ってくれると言ったが、それをことわって自分でスーツケースを押して行った。
建物の中の細い通路を3分ほど行くと私の泊る部屋に案内された。
途中に大きなプールがあり、その横を歩いて行った。
チップをやろうとしたが小銭がない。
別段荷物を運んでもらったわけではないので、どうしようか迷っていると、彼が「タバコをくれ」と言った。
あいにく2本しか入っていなかったが、タバコを彼にやった。

部屋は一人で宿泊するには広すぎた。リビングがあり、そこにはテレビとソファーがあった。
もう一つの部屋には大きなダブルベッドがあり、そこにもテレビがあった。
さらに入り口のすぐ左には、5人ぐらい入れる円形のバス、洗面台、トイレ、シャワーのある部屋があった。
少し豪華な部屋と思っていたら、チェックアウトの時にマルコポーロクラブで予約したため、部屋がグレードアップされていたことを聞かされた。

空が白々としてきた。
海辺には10人ほどの従業員が、レーキ(よく野球場でグランドを平にする道具で、俗称はトンボ)で昨日つけられた足跡をすべて消していた。
バケツをもってゴミを拾っている人もいた。
日光浴用のベッドを海岸ぞいの石垣の上にきれいに並べている人もいた。

朝食までにはまだしばらく時間があった。
部屋の外の白い椅子に座り、ユックリと明けてくる朝焼けの空をぼんやりと眺めていた。
少し朦朧とした頭で、3泊4日のモーリシャスをどのようにして過ごそうか考えていた。
このモーリシャスの旅はホテルでリゾート生活を楽しもうとして来たのに、せっかくモーリシャスに来たのだらかいろいろ見てやろうと思い始めていた。
posted by southafrica at 10:12| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | モーリシャスの旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月22日

タクシー料金

タクシーの料金が少し高すぎるのではないかと思った。
タクシーはまだ空港の敷地を出ていないので、運転手へ「タクシー乗り場へ戻ってくれ」と言った。
運転手はスピードを落したが、戻ろうとしなかった。
でもよくよく考えてみると、空港にはタクシーの数が少なかった。
戻ったところで他のタクシーも同じことだろうと思った。
それよりも、もしタクシーがなかったら一大事だと思ったので、それ以上言うのをやめた。

東南アジアに行ってもタクシーの料金交渉をよくやってしまう。
何度か少し高いのではないかと思われる料金を払わされられたことがあるからである。
特に日本人だとわかると高い料金を請求してくるのが嫌いなのだ。
タクシーに乗る前に値段交渉が仕事の一つになっているのである。

「ホテルまでどのくらい時間がかかるか」と聞くと、運転手は「1時間半くらいだ」と言った。
運転手が地図を出してくれた。
地図を見て「どう行くのか」と聞くと、運転手は「島の東南にある空港から北西に向かい島の中央に行く。そこから右に曲がって、東の海岸のあるホテルへ行く」と言った。
「空港から東海岸の道でホテルへ行く道があるだろう」と言うと、運転手は「この道しかない」と言った。
東海岸沿いの道を行けば三角形の一辺の距離であるが、運転手の行く道は三角形の2辺の距離なのである。
まだ暗い道を飛ばしていくのなら、運転手の言う、中央のハイウエーを飛ばして言った方が近いのだろうと思った。
料金も高くなるはずだと思った。

道路は霧がかかり、小雨も降ってきた。
「毎日雨が降るのか」と聞くと、運転手は「今は雨の降る季節で夜に雨が降る」と言った。
外は真っ暗でモーリシャスとはどんな国か全くわからない状態であった。
まだ美しいモーリシャスの風景を見ることが出来なかった。

まだ暗いうちにホテルへ着いた。
ホテルのレセプションが開いているかわからない。
開いているか確認に行こうと思ったが、タクシーに荷物を積んだままであることに気がついた。
もしこのままタクシーに逃げられたら荷物が消えてしまう。
とにかくホテルが開いてないなら玄関で待つことにして、運転手に荷物を運んでもらった。
料金を払おうとすると、あんのじょうチップを請求されて100ルピー多く取られた。
posted by southafrica at 23:53| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | モーリシャスの旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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