2009年11月26日

マプマランガ州の新州都名はムボンベラ(Mbombela)

滞在記で紹介しました、南アフリカ北東部に位置するマプマランガ州の州都ネルスプルートは、2009年の10月にムボンベラ(Mbombela)」に改名されました。
通称「ネルスプルート国際空港」は「ムボンベラ国際空港」になるそうですが、正式名称はクルーガー・マプマランガ国際空港(KMIA)です。
ムボンベラはヨハネスブルグから車で約4時間の位置にあり、クルーガー・ナショナルパーク、ゲーム・リザーブ、ブライド・リバー・キャニオン、ピルグリムズ・レストなどが旅行者に人気があります。
ムボンベラとは現地の言葉で“共同生活”の意味で、来年のサッカーWカップで使用される新設会場「ムボンベラ・スタジアム」にも使用されています。
サッカーWカップに使用される10のスタジアムのなかで唯一、南アフリカ人がデザインを手がけたそうです。


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2009年08月23日

出発ロビー

最後に出発ロビーで家族が、クルーガーコインが付いたネックレスを買うことにした。
クルーガーコインではなく、当時、南アフリカで発行されていた”ビッグファイブ”の動物のコインだったかもしれない。
まさか空港の中で安くなるとは思はなかったが、値切ってみることにした。
「20%オフなら買う」と言うと、あっさり「OK」と言われて、買うはめになってしまった。

サントンシティーの中ならば、一言「ディスカウントして下さい」と言えば、10%ぐらいは安くなったが、顔見知りにならなければ20%までは安くしてくれなかった。
私がよく行ったサントンシティーの皮製品屋さんとは顔見知りになったので、黙っていても20%安くしてくれた。
お勧め品があると更に安い値段で紹介してくれた。
でも店員は10%までしたディスカウントできないので、店員は私に「オーナーは今日の何時頃来ますよ」といつも教えてくれた。
サントンシティーのお店は観光客相手なので、安くしてくれたからといっても決して安い値段ではなかった。

話しはさらに余談になるが、南アフリカのオープンマーケットや地方の露天の土産物売り場では、値切るのが常識である。
通常は30%程度までまけてくれるところもある。
値段を聞いて、「高い! 少し安くならないか?」と言えば、「あなたならいくらで買う?」と逆に聞かれるかもしれない。
私は、最初に言われた値段の50%ぐらいの値段を言った。
彼らから、「あなたは私を殺すきか」という言葉が返ってきた。
そんな値段で売っては、「私たちは食っていけないよ」という意味である。


キャセイパシフィックの飛行機は無事にヨハネスブルクを旅立った。
香港の乗り継ぎで、日本行きの出発がやや遅れていた。
日本に台風が上陸しているらしかった。
台風が去りそうな状況なので、飛行機はひとまず出発することになった。
機内に放送では、「もし成田へ行けない場合は、台北か沖縄へ着陸する可能性がある」と放送された。
いそぐ旅でなはないので、「それもよいだろう」と思った。

九州近くの上空へ来たが、やはり成田へは行けないらかった。
「伊丹空港へ着陸する」という放送があり、次に「関西空港へ行く」という放送があった。
結局、「関西空港への着陸が認められない」という放送があり、伊丹空港に着陸した。
伊丹空港で約2時間待機して成田空港へ向かった。
台風の去った後の東京の空は、南アフリカのような真っ青な空であった。

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2009年08月15日

ゴールドリーフシティー

ホテルで明日の午前中、ゴールドリーフシティーへ行くツアーを予約してもらった。
家族は、博物館や美術館へ行くことを希望していたが、友人が「出来れば行くのを避けた方がよい」というので断念した。
ゴールドリーフシティーは金鉱の跡である。
中はテーマパークのようになっていて、昔の金鉱の設備や当時の建物などが残されていて、現在でも使用されている。
この金鉱山は1886年に発見され、発見者は自分の大きな発見に気付かずに権利を売ってしまったそうですが、この鉱山を買い取った会社は140万トンを採掘したそうです。

翌朝、サントンサンのホテルの外に出るとミニバス(バン)が待っていた。
南アフリカで乗った、最初で最後のミニバスだった。
若い黒人の男性が運転し、助手席にも若い黒人の男性が座っていた
お客は私の家族と白人の若い女性が1名だった。
先にミニバスに乗っていた白人の女性は、私たちが乗ると安心したような顔をした。

バスは、お客におかまいなくカーブを急ハンドルで回っていくし、狭い道で乗用車を追い抜いて行った。
「なぜそんなに急ぐのだ。交通事故にあってもおかしくない」、「このままどこに連れていかれて、身包み剥がれて降ろされておかしくない」と思った。
「でもホテルで予約したツアーでもあり、所持品はカメラとほんのわずかなお金だけなので、そんなことはないだろう」と思った。

車はサントンを通り過ぎてM1道路でヨハネスブルグに入った。
窓の外には赤茶けた小さなボタ山が見えた。
マインダンプといって、昔、金鉱石を掘った名残りで、金鉱の街の象徴だそうです。
金鉱山は地下1,000m以上深くまで掘られていて、途中網の目のように脇道が横にあるそうです。
この付近では、ある日突然地盤沈下が起きたりしているそうです。

ゴールド・リーフ・シティー入り口の前には、広い駐車場があり、高いポールには各国の国旗が掲揚されていて、日本の国旗もあった。
ミニバスの助手席に乗っていた、黒人のガイドが中に案内してくれた。
「2時間後に迎えにくるので、ここで待っているように」と言って帰って行った。
「私とは違うガイドが迎えにくるので、このワッペンを付けて、必ずここで待っているように」とも言ったように思った。
マイン・ダンスの時間を説明してくれたみたいだったが、英語がよく聞き取れなかった。

一緒に乗ってきた白人の女性は、私の不安そうな顔をみて、わかりやすく英語で説明してくれた。
最後に「ドー・ユー・アンダースタンド?」と言われ、少しムカッとしたが、「説明が聞き取れないのでは、何と言われてももしかたがない」と思いました。

彼女に「何処から来たのですか?」と聞くと、「イズール」と言った。
「イズールなんて国は何処にあるのだろう。スイスのことだろうか?」と思って何回も聞くと、彼女は不思議な顔をした。
彼女はイスラエルから来たのだそうです。
「父親と一緒に来ていて、今日は父親が仕事なので一人で観光に来た」と言っていた。

ゴールドリーフシティーの中を歩いていたら、観光ツアーできたという日本人の方々にも会った。
ツアーの方々は「明日、ケープタウンへ行く」と言っていた。
やはり、顔つきや服装、そして持っている荷物から日本人だと分かった。
その日本人の方たちは、よれよれのズボンによれよれのTシャツ、泥だらけのスニカーに小さなナップサック姿の私を見て、「本当に日本人か?」という疑いの目で見ていました。

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2009年05月26日

南アフリカの9月はまだ冬

彼女が戻って来て、「車の持ち主は、開かないはずはないと言っている」と言った。
もし遠隔操作で開かな場合は、キーを差し込んでドアを開ければ、盗難防止用のアラームが駐車場全体に聞こえるほど大きな音で鳴るはずであるが、必ず開くはずである。
私は、キーを差し込んでもキーが回らないのが不思議であった。

車のところでウロウロしていると、白人の方が来て、「私の車に何をしているのだ」と言った。
秘書はあたりを見回して、自分の乗って来た車が、2列奥に駐車されていることにきがついて、「ごめん」と言った。
彼女は、朝寝坊して急いで来たため、自分の乗って来た車の置いた場所を忘れてしまっていたのだ。

無事に車のドアは何の問題もなく開き、バンに乗って会社に向かった。
飛行機の中で着て来たセーターをそのまま着ていたが、日の出とともに気温が上がって、汗ばんできたので脱いだ。

車の窓の外は冬景色のままであった。
前にも書いたかもしれませんが、南アフリカは冬の次に夏が来るのです。それからしばらくして雨が降り、草原が緑になって花が咲いて春がくるのです。
窓の外は、前回帰った5月と同じ風景であった。

彼女がタバコに火をつけて、窓を数センチ開けた。そしてエアコンを最高にした。
そう、車の中の煙を外に追い出すためである。
車は時速140kmで走っているので、少し窓を開けると、すごい音で風が車の中に入ってきた。
私も少し窓をあけてタバコに火をつけた。

約2時間のドライブで家に着いた。
玄関の格子に巻きついているジャスミンが白い花を付けていて、強烈な匂いを放っていた。
彼女は、荷物を降ろすのを手伝うと、2時間ぐらいしたら迎えにくると行って会社へ行った。
彼女は、私に頼んでおいた緑茶のお土産を持って帰ることを忘れなかった。

部屋では、いつものようにメイドさんが掃除をしていた。
前回滞在していた時のメイドさんと同じであった。
勝手がわかっているので、いろいろ説明しなくてすむので安心した。

今回の滞在は年末までの予定である。
今回の滞在には楽しみがあった。
この家に日本人の方2名と1ヶ月間、一緒に滞在することになっていたからである。
再来週の金曜日が休みなので、週末は私の案内でクルーガー・ナショナルパークに行くことをEメールで約束してあったからです。
最初の1泊目は、クルーガー・ナショナルパーク近くのホテル、2泊目はクルーガー・ナショナルパーク内のキャンプを予約してあるはずであった。

また、しばらくすると日本から3人が視察に来ることになっている。
どうせ自分たちの観光旅行だろうが。
「ケープタウンに行ってみたい」と言っているので、一緒にタダで行けるかもしれない。

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2009年05月19日

古い金鉱の町ピレグレムスレスト

南アフリカ滞在時の週末の過ごし方は、もっぱらゴルフであった。
土曜日の早朝にゴルフをして、午後はサントンやヨハネスブルクへ行って、ウインドショッピングや日本食などを買いに行っていた。
ヨハネスブルクの治安があまりよくなかったこともあり、次第に行くこともなくなった。

ヨハネスブルクの東方、クルーガー・ナショナルパークの西側はイースタントランスバールと言い、渓谷があり緑も美しい場所だと以前紹介しました。
何度か行くうちに、この付近には滝が沢山あることを知って、全部の滝を見てやろうと思い、滝巡りを始めた。
これらの滝は車ですぐ近くまで行けるところもあれば、歩いて1時間以上かかる所もあった。
勿論、歩いて数時間かかる滝は見に行かなかったが、地図に載っている8割ぐらいは見てまわった。

この滝巡りの間に何度か立ち寄った町があった。
ここの付近ではかつて砂金がとれたそうで、一獲千金を狙った方たちがここに集まり、町ができたのかもしれません。
以前にも書きましたが、金鉱の古い町、ピレグレムレストである。
小高い丘の上の道路沿いに30軒ほどの家が建ち並んでいた。
小さな民芸店が並んでいて、南アフリカの伝統的な工芸品や、手作りのジャムや調味料などの食料品などが売られていて、その他には本当に何にもない町です。
町というよりも小さな集落です。
銀行や郵便局が当時のまま残されて、現在でも使用されていた。
そこにはロイヤルホテルという古いホテルがあり、一度は泊ってみたいと思っていた。

ついにロイヤルホテルに宿泊することになった。
部屋の床はギシギシとする古い板がそのまま残されていて、あまり広くない部屋にはヨーロッパを思わせるような家具が置かれていた。
早朝、朝もやのたつホテルの前の道路に出ると、黒人のお爺さんが、道路脇に停められた自動車を洗車していた。

朝起きて散歩やジョギングをして、10時頃になってレストランへ行って、道路沿いのテーブルに座って朝食兼昼食をユックリとり、午後は昼寝をするか、近くの山間部をドライブするか、9ホールのゴルフコースでプレーをするぐらいしかないのです。
こんな町に避暑に来て、何泊もする白人の方たちが信じられないぐらいです。

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2009年01月14日

南アフリカ、テーブルマウンテン

テレビを見ていましたら、南アフリカのテーブルマウンテンを紹介していました。
写真の動物はロックダーシーという、象の仲間だそうです。
(お詫び:写真はテレビを撮影させて頂きました)

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10年ほど前にケープタウンへ行ったことがあります。
ケープタウンには3日間滞在しましたが、強風のため、ケーブルウエイが運転されたのは最後の一日だけでした。
山麓の駅で1時間ほど待たされて、やっと乗ることができました。
ケーブルウエイの山頂駅の近くのレストランの前では、可愛い女の子がロックダーシーに餌をあげていました。

2010年のサッカーWカップの準決勝は、ケープタウンのグリーン・ポイント・スタジアムで行われます。
ぜひ乗ってみたいケーブルウエイですが、はたして乗る時間はあるでしょうか?

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2008年12月31日

マンデラ氏、1990年にヤンキースタジアムで演説

2008年12月29日のNHKハイビジョンで、"わが心のヤンキースタジアム"という番組が放送されていました。
ヤンキースタジアムは今年が最後で、来年から隣の新スタジアムで大リーグの試合が行われるそうです。
この番組の中で、ある黒人女性が南アフリカのマンデラ氏が演説し、その演説の内容が「マンデラ氏の演説が心のささえとなった」という内容がありました。

ネルソン・マンデラ自伝「自由への長い道」で調べてみましたら、1990年6月のことみたいで、このように書かれていました。

 ニューヨークについては、若い頃から本でよく読んでいた。ついにその街を、巨大なガラスとコンクリートの渓谷の底からながめ、しかも無数の紙ふぶきを浴びるというのは、感激で息も止まりそうな経験だった。市内をめぐるパレードを、百万人の市民がじかに見たと報道された。反アパルトヘイト闘争に対するこれだけの支持と情熱を目のあたりにして、わたしはごんとうに身の引き締まる思いがした。本の出てくるニューヨークは、いつも薄情の街だったが、生まれてはじめてそこでまる一日を過ごしたわたしは、正反対の印象を持った。
 翌日、わたしはハーレムへ行った。ハーレムのだて男のファションをまねたソウェトの若者たちを見た1950年代以来、この地区はわたしの心のなかで伝説的な地位を占めていた。妻に言わせると、ハーレムはアメリカのソウェトだった。わたしは、ヤンキー・スタジアムで大群衆に向かって演説し、南アフリカの黒人もアメリカの黒人もともに同じアフリカの子どもだから、わたしたちは切り離すことのできないへその緒で結ばれているのだと言った。(中略)わたしたちにとって、ハーレムは、抵抗のたくましい黒人としての誇りの美しさを象徴する街だ。きのう見たある若者のTシャツに書いてあった"黒い肌は生まれつき、誇りは自分で選ぶもの"という言葉で、わたしは思いを新たにした。わたしたちは生まれつきのきずなで結ばれているが、おたがいに対する誇りは自分で選んだものなのだ。わたしはそう呼びかけた。
(中略)わたしはワシントンへ行って、上下両院の合同会議で演説を行ない。ブッシュ大統領と非公式の会談をした。演説で、反アパルトヘイト立法に対する感謝を述べ、新しい南アフリカがアメリカ連邦会議の期待に応えられるような国になることを望むと言った、自由の戦士として、ジョージ・ワシントンやエイブラハム・リンカーンやトマス・ジェファーソンのような偉人たちを知らなかったら、その行動をまねることもできなかったろう。わたしはまた、ブッシュ政権が南アフリカ政府への制裁をゆるめようとしていることを知ったので、緩和をしないようにと訴えた。
 ブッシュ氏に対しては、会う前から好ましい印象をいだいていた。わたしが釈放されたとき、氏は、世界の元首たちのなかで最初に祝福の電話をくれた。そんとき以来、ブッシュ大統領は、重要な問題について腹を割って離せる数少ない世界の指導者たちのリストに、わたしを加えてくれた。個人的には、思いやりのある温厚な人物で、ただし、武装闘争や制裁などに関しては、わたしとかなり立場を異にしていた。意見の食いちがいがあっても、気持ちよく握手が出来る相手だった。

(お詫び:NHKテレビの画像とネルソン・マンデラ自伝「自由への長い道」をお借りしました)

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2008年12月01日

南アフリカ、サマー・クリスマス

10年以上も前のことですが、南アフリカに滞在していた時、オンリーブという制度がありました。
オンリーブとは、年間に4週間、会社を休むことができる制度で、知人の話では4週間連続して休むことができ、2週間ずつ2回に分けても休むことができました。
2000年代に入り、30歳代の知人と話をしましたら、「年間の4週間休むことは難しくなった。今年は2週間しか休んでいない。2週間は必ず休まなければならない」と言っていました。
このオンリーブは日本の有給休暇とは違うみたいで、病気や他の用事の時は、申請をすれば休めたみたいです。
かつて(アパルトヘイト時代?)、多くの黒人の方たちは遠くから出稼ぎにきていて、このオンリーブで家族の住んでいるホームランドに帰っていたみたいです。

12月に入り、気がつくと、いつも顔を合わせていた知人たちと顔を合わせることがなくなっていました。
「最近、彼の顔を見ていないが?」と言うと、「オンリーブでxxxへ家族と出掛けた」というような会話が多くなりました。
クリスマス近くになると、大勢の知人たちはオンリーブでいなくなっていました。

「南アフリカのサンタクロースは?」
日本(?)のサンタクロースと同じですが、きっと暑いに違いありません。

「クリスマスツリーは?」
確か、ツリーに雪はなかったように思います。

「サンタクロースはトナカイに乗ってやってくる?」
ゼブラ(縞馬)かもしれません。

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(写真は、数年前に撮影したサントン・シティーのクリスマスツリーです)
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2008年11月25日

アフリカの子供たちへ愛の手を!

1990年代の後半、南アフリカのとある町に滞在していたことがあります。
ボロボロのシャツを着て、穴だらけの靴を履いている黒人の子供たちもいました。

スパーマーケットに買い物へ行き、駐車場に車を止めると、子供たちがどこからともなくやって来て、「マスター、カー・ウォッシュ」と話かけてきました。
彼らの願望するような目を見ると、すぐに「OK」と言ってしまいました。
すると、次々と子供たちがやって来て、10人くらいで、濁ったバケツの水を使い、破れた布で洗車を初めました。
スーパーマーケットから買い物をして出てくると、子供が寄ってきて荷物を持ち始めました。
初めてこのようなことに出会った時のショックは今でも忘れることができません。
彼らには1R(約20円)ほどの小銭を渡していました。
彼らに「お金を下さい」と言われたことはありませんでした。
彼らは仕事をしてお金を稼いでいたのです。
しばらくして、スーパーマーケットの駐車場から子供たちの姿が消えました。
お客さんからの苦情があったそうですが、「彼らは今は何処で働いているのだろうか?」と思いました。

家にも時々、「教会に寄付して下さい」という黒人の方が尋ねてきました。
「本当に教会の寄付だろうか?」と思いつつも、説明文とサインの出来る用紙を持っている場合は寄付をしていました。

私はキリスト教徒ではありませんが、時々、白人や黒人の知人が、「教会でコンサートをやるので聴きに来ないか?」と誘われました。
教会の行事やクリスマスのために寄付をすることがありました。
日本に戻ってしまった今でもクリスマスの寄付を続けています。
私が滞在していた時、親切にして頂いたそのお礼です。
今年も、メルマガの広告で得た僅かなお金を送ろうと思っています。

南アフリカの新聞を見ていましたら、コンゴ東部の子供さんの写真が掲載されていました。
日本の新聞にも、アフリカの子供たちへの"支援"の記事を見かけます。
私は"支援"とか"援助"という言葉は嫌いです。
でも、この子供たちへは"支援"が必要です。

(お詫び:写真は南アフリカの新聞からお借りしました)

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2008年11月24日

南アフリカの人口

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「かつて南アフリカへ行ったことがある」と言うと、いろいろなこと聞かれますが、なかなか答えられないことが多くあります。

Q1:「南アフリカはいつできたの?」
A1:どう答えてよいのか分かりませんが、西洋の歴史からすれば1910年に南アフリカ
連邦が樹立されました。

Q2:「面積は?」
A2:日本の3.2倍(約122万平方キロメートル)だそうです。

Q3:「人口は?」
A3:2006年の本のデータのよれば4700万人だそうです。(2000年頃の本のデータは4200万人でした)

11月中旬の南アフリカの新聞に、来年5月頃に実施される下院議員選挙の登録に記事が掲載されていましたので、備忘用にブログに残しておきます。

南アフリカの人口は約4800万人で、164万8189人が新たに選挙人登録手続きをして、選挙人登録者は2166万1171人になったそうです。
選挙人登録は18歳からだと思いますので、この数字からすれば、18歳以下の子供さんの数の方が多いことになります。

南アフリカを殆ど知らない者がこのようなことを書いてよいのか分かりませんが、この数字を見ていて気になったのは、「毎年大勢の若者たちが社会に出ていくが、雇用の場がますます不足してくるのではないか?」ということです。
「2009年の下院議員選挙では、将来を見据えた政策を持つ政党よりも、『若者の雇用確保』というスローガン的な政策を掲げるだけの政党に票が集まっていくのでは」と思ってしまいます。

(お詫び:写真は2004年の南アフリカの新聞からお借りしました。「投票を待つQ」)
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2008年11月21日

スモー(相撲)

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10年ほど前、スモー(相撲)を知っている南アフリカの知人はあまりいませんでした。
1995年に南アフリカで行われたサッカーWカップが開催された時、白人の知人は、「何でスモーレスラーを連れて来ないのだ」と言っていました。
「スモー・レスラーは、あんなに走りまわることができない」と言うと、「そんなことはない。身体の大きいラガーマンは走ることが出来るのだから、スモーレスラーだって走れないわけがない」と言っていました。

私が持っていったビデオを見て、「何で、対戦前に睨み会睨み合いをして、勝負が数秒でつく対戦を15日間も行うのだ」と言っていました。

最近の南アフリカの新聞に、スモーとマウント・フジが紹介されていました。

(お詫び:写真は南アフリカの新聞からお借りしました)
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2008年11月16日

南アフリカ、モッセル・ベイ

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11月8日の午後、NHKのBSで放送されたガーデンルートを走る「ウテニカ・チューチュー鉄道」を紹介しました。
英国から輸入された蒸気機関車が、ジョージ〜モッセル・ベイ間を走っています。
途中で停まる駅は1つだけで、しばらく停車するので観光ができるそうです。
駅名は聞き漏らしましたが、ハーテンボスだったかもしれません。
途中で停車する駅では、バルトロメオ・ディアスの像を見学し、近くにあるポストから手紙を出すことが出来ます。

ヨーロッパ人が最初にモッセルベイに寄港したのは、1487年にポルトガル人のバルトロメオ・ディアスです。
このポストは海の見える場所にあり、かってインドへ向かう航海中の船員は手紙をこのポストに入れたそうです。
もちろん、郵便屋さんがこの手紙を集めにきたわけではありません。
この湾に立ち寄った祖国へ帰る船が手紙を回収し、ポルトガルへ運んだそうです。

10年ほど前、私が祖国へ向けて投函した絵葉書は、日本のわが家に配達されていました。
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2008年11月13日

南アフリカ、ブライド・リバー・キャニオン

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(お詫び:この写真は南アフリカの新聞からお借りしました)

11月11日の南アフリカの新聞に、南アフリカの東方、クルーガー・ナショナルパークの西側にあるブライド・リバー・キャニオンが紹介されていました。
この付近は、イースタン・トランスバール地方と呼ばれていました。
ブライド・リバー・キャニオンは、世界3番目の深さがある谷だそうで、1番目は有名な米国のグランド・キャニオン、2番目はナミビアにあるそうです。

まだ夜が明けぬ早朝にヨハネスブルク近くを出発すれば、イースタン・トランスバール地方で数時間を過ごし、日が暮れてまもなく家に帰ってくることができました。
(ヨハネスブルク〜イースタントランスバール地方のネルスプルーイット間は375kmです)

早朝に出発してN4道路をひたすら東に走り、マチャドドープという町で左折してR36に入ると緑の丘があり、きれいな水の流れる谷や滝があり、「日本にもこのような風景があった」と思えるような場所でした。
たまには小さなホテルに宿泊して、クルーガー・ナショナルパークへ入ることがありました。

11月12日の南アフリカの新聞に、この付近の「R40道路の道狭い場所で2台のトラックが転落して23人が死亡して9人が負傷した」という記事が掲載されていました。
R40は何度か走ったことのある道路です。
「何でトラックが転落したのに23人も死亡するのだろうか?」と思って記事を読んでみましたら、近くの農園の労働者を荷台にのせて輸送(?)していたそうです。

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2008年11月12日

南アフリカ、12番目の公用語?

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南アフリカには11の公用語(ナショナルランゲージ)があります。
かつては、英語とアフリカーンス語の2つの白人言語でしたが、1994年にマンデラ大統領が誕生し、すべの黒人言語を公用語にしました。
南アフリカの友人は、「南アフリカには、まだ2〜3の言語がある」と言っていました。
「まだある言語とは、コイ・サン族の言語なのだろうか? それともスワジ語なのだろうか?」と思っていました。
1996年頃、南アフリカでは、「新しい言語を作る」ということが論議されていました。

「12番目の公用語とは何か?」と新聞記事を読んでみましたら、口で喋る言葉ではなく、指によるサインでした。
走っているミニバス(タクシー)の運転手に行き先を伝えるサインでした。

南アフリカは鉄道網が発達していないため、交通手段はミニバスです。
道路沿いにはバス停もないのに黒人の方たちが立ってミニバスを待っていて、ミニバスが何台も通り過ぎて行って、時々停車して乗客を乗せて行きます。
白人の方や観光客は、このミニバスを停めて乗車する方法を知りません。
もし知っていたとしても、行き先不明で、危険きわまる運転をするミニバスに乗る人は殆どいません。

ある時、黒人の知人へ、「どうやってミニバスを停めて乗車するのですか?」と聞いたところ、「指を立てて運転手にサインを送る。その指を立てる組み合わせで、ミニバスがその方面へ行く場合は停まってくれる」と言っていました。
猛スピードで走ってきたミニバスが、路上に立っているいる人のサインを見て急停車をするので、後ろから走ってきた車は、よほど注意をしていないと激突してしまいます。

ある白人の方が、このタクシーのサインを調査したところ、タクシー会社によっても違うし、地域によっても違うそうです。
近々、このタクシー言語を本にして出版する予定だそうで、いずれは統一したタクシー言語が生まれるみたいです。
因みに、"Orange Farm"という場所へ行きたい場合は、「手のひらを上に向けて、オレンジを握るような仕草のサイン」もあるそうです。

(お詫び:写真は数年前の南アフリカの新聞からお借りしました)
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2008年11月07日

南アフリカのカクテル

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何度か南アフリカへ行った時、現地の知人と食事へ行き、カクテルを飲みました。
確か、「ドン・ペトロ」とか「アイリッシュ・キッス」というカクテルを飲んだことがあります。
「スプリングボック」というカクテルも飲みました。
スプリングボックとは南アフリカの鹿の一種ですが、南アフリカのラグビーのナショナルチームの名前がスプリングボックスで、このカクテルはジャージの色と同じでした。

南アフリカの新聞を見ていましたら、きれいなカクテルの写真が掲載されていました。
写真のカクテルの名前はわかりません。

バナナ・ムースについては、このように紹介されていました。

◇BANANA SMOOTHIE◇
Ice cubes
2 bananas
1 egg
1 teaspoon honey
A cup of milk

Blend the ingredients and pour into the glass.
Garnish with a slice of banana.
There are many variations of this drink.
Try it with different fruits and combinations of fruit.
It is also nice as a breakfast drink if you add muesli.
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2008年10月21日

トウモロコシの粉

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南アフリカで、最初に女性が頭の上に荷物を乗せている姿を見て、「いったい荷物は何なのだろう?」と思いました。
先日、テレビ番組を見ていましたら、「トウモロコシの粉らしい」ということがわかりました。
このトウモロコシの粉を熱湯でといた食べ物を、南アフリカでは「ミリー」と言いました。
ブライ(バーベキュー)の時には、このミリーに肉汁をつけて食べていました。
ミリーと一緒に写っているのは、ブルボースという南アフリカのソーセージです。
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2008年10月19日

遺伝子組み換えトウモロコシ

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1990年代の後半、南アフリカに滞在していた時、遺伝子組み換え穀物が気になっていましたが、あえて調べてみることはありませんでした。
2000年代になってからだったと思いますが、米国から日本に輸入されるの遺伝子穀物(小麦だったかトウモロコシだったか記憶がありませんが)が話題になりました。
「日本の商社は輸入先を南米や南アフリカに切り替えた」という記事が新聞に掲載されていました。
この時、「南アフリカで食べていたパンやミリー(トウモロコシの粉を熱湯でといた食べ物)は遺伝子組み換えではなかった」と分かりました。

10月19日、NHKのテレビを見ていましたら、「今までの穀物輸出国が人口増加に伴い輸出できなくなってくるため、各国が東欧(旧ソ連)のとある国の土地契約合戦をしていて、日本は出遅れている」という内容の放送がありました。
南アフリカも人口増加に伴い、7年前から遺伝子組み換えのトウモロコシ種子を米国から輸入して生産しているそうです。
7年前ということは2001年からですから、私も少し食べていたことになります。

南アフリカの遺伝子組み換えトウモロコシの生産は政府の援助があり、除草剤をまいても枯れないため生産量が1.5倍になったそうです。
しかし、南アフリカの南部の乾燥地帯では、この遺伝子組み換えトウモロコシは気候にあわないため生産量が半分になり、もとのトウモロコシに戻す動きがあるみたいです。

(お詫び:写真はテレビの画面を撮影させて頂きました)
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2008年10月11日

2004年、南アフリカの選挙結果

2004年4月14日に行われた選挙結果が17日に発表され、アフリカ民族会議(ANC)の圧勝に終わりました。
23日に下院議会でムベキ大統領が再任され、27日に就任式が行われる予定です。
9州の首相(知事)は21日に発表され、すべてANCからだそうです。


■南アフリカ下院議員数(合計400議席)

1 ANC(African National Congress):      279
2 DA(Democratic Alliance):           50
3 IFP(Inkatha Freedom Party):         28
4 UDM(United Democratic Movement):        9
5 ID(Independent Democrats):           7
6 NNP(New National Party):            7
7 ACDP(African Christian Democratic Party):   6
8 FF+(Freedom Front plus):            4
9 UCDP(United Christian Democratic Party):   3
10 PAC(Pan Africanist Congress):         3
11 MF(Minority Front):               2
12 APO(Azanian People's Organisation):      2 


■南アフリカ州議会議員数

ハウテン州(73議席)
 ANC(African National Congress):       51
 DA(Democratic Alliance):           15
 IFP(Inkatha Freedom Party):          2
 UDM(United Democratic Movement):        1
 FF+(Freedom Front plus):            1
 ACDP(African Christian Democratic Party):   1
 ID(Independent Democrats):           1
 PAC(Pan Africanist Congress):         1

マプマランガ州(30議席)
 ANC(African National Congress):       27
 DA(Democratic Alliance):            2
 FF+(Freedom Front plus):            1

リンポポ州(49議席)
 ANC(African National Congress):       45
 DA(Democratic Alliance):            2
 ACDP(African Christian Democratic Party):   1
 UDM(United Democratic Movement):        1

北西州(33議席)
 ANC(African National Congress):       27
 UCDP(United Christian Democratic Party):   3
 DA(Democratic Alliance):            2
 FF+(Freedom Front plus):            1

自由州(30議席)
 ANC(African National Congress):       25
 DA(Democratic Alliance):            3
 FF+(Freedom Front plus):            1
 ACDP(African Christian Democratic Party):   1

クワズール・ナタール州(80議席)
 ANC(African National Congress):       38
 MF(Minority Front):               2
 IFP(Inkatha Freedom Party):         30
 DA(Democratic Alliance):            7
 ACDP(African Christian Democratic Party):   2
 UDM(United Democratic Movement):        1

西ケープ州の議席数(42議席)
 ANC(African National Congress):       19
 NNP(New National Party):            5
 DA(Democratic Alliance):           12
 ID(Independent Democrats):           3
 ACDP(African Christian Democratic Party):   2
 UDM(United Democratic Movement):        1

北ケープ州の議席数(30議席)
 ANC(African National Congress):       21
 DA(Democratic Alliance):            3
 NNP(New National Party):            2
 ID(Independent Democrats):           2
 FF+(Freedom Front plus):            1
 ACDP(African Christian Democratic Party):   1

東ケープ州の議席数(63議席)
 ANC(African National Congress):       51
 UDM(United Democratic Movement):        6
 DA(Democratic Alliance):            5
 PAC(Pan Africanist Congress):         1


■IFPはANCとの提携を否定

4月14日、下院議員選挙と同時に行われた州議会議員の選挙で、クワズール・
ナタール州は次のような結果でした。

クワズール・ナタール州(80議席)
ANC連合
 ANC(African National Congress):       38
 MF(Minority Front):               2
IFP−DA連合
 IFP(Inkatha Freedom Party):         30
 DA(Democratic Alliance):            7
単独
 ACDP(African Christian Democratic Party):   2
 UDM(United Democratic Movement):        1

ANCあるいはIFPとの連合を表明していない2政党3議席の動向が注目されています。
メディアが、「IFPがANCに協力」と報じていることに対して、IFPのスポークスマンは否定したそうです。
また、4月17日、選挙管理委員会が最終結果を発表し、「選挙は自由・公平に行われて」と発表したことに対して、非難したそうです。

選挙管理委員会への苦情は42件で、その殆どがクワズール・ナタール州であり、「外部の投票所(本来の住居でない場所)での投票が認められているため、同一人が2回以上の投票をした」、「選挙人への投票妨害があった」等が主な苦情だそうです。
選挙管理委員会への非難は、「これらの苦情を全く調査していない」ことだそうです。

単独2政党の動きが注目されています。
ANCが、「ANCマジックを使うのか?」も興味があるところです。
このANCマジックとは、南アフリカの選挙が比例代表制であるにもかかわらず、議員が政党を代えることが出来るため、1999年の選挙後にANCが議席数を増やしたことから付けられた名前みたいです。
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1997年、アフリカン・ルネッサンス(2)

1998年5月の日本の新聞だったと思いますが、ムベキ前大統領の「アフリカン・ルネッサンス」が掲載されていました。
ムベキ前大統領は辞任しましたが、この「アフリカン・ルネッサンス」が実現しなかったということなのでしょうか?

お詫び:新聞に掲載されたの内容を紹介させて頂きます。

2.政策文書:「アフリカン・ルネッサンス - 現実可能な夢」の概要

(1)
冷戦の終結により、東西二極構造は、北米・欧州・東アジアによる経済的な三極支配構造により代替された。しかし、ここでもアフリカは取り残されようとしている。新生南アの進む道は、死滅したイデオロギーに囚われることなく、経済的グローバーリゼーションを貧欲に適応・咀嚼し、世界経済の競争に追いついて行くこと。他方、同時に、依然として格差拡大の一途にある南北関係において、「公正で人間味のある世界秩序の形成」のために貢献することも重要な課題。そのためには、世界の発展途上国と協力しつつ、南北の掛け橋としての役割を追求する。(南アは98年8月末に非同盟首脳会議をホストする他、南アは96年5月以来、UNCTADの議長国であり、97年8月より南部アフリカ開発共同体(SADC)の議長国をもつとめている)

(2)
「公正で人間味のある世界秩序の形成」に貢献するための中心的な活動目標として「アフリカン・ルネッサンス」を提唱。21世紀をアフリカ再生の世紀にしなければならない。単なる理想論ではなく、現実可能なビジョン。1960年代のアフリカ独立の波、1980年代後半のアフリカ民主化の波に続いて、アフリカ経済復興の「第三の波」が必ず訪れる。但し、この波の真の「アフリカン・ルネッサンス」に結び付けるためには、21世紀を目前にした今から、意識をもって準備を進める必要がある。「アフリカン・ルネッサンス」の目標においては、経済復興、民主主義の確立、自助努力意識の高揚、政治的安定の確保、国民中心の経済政策が中心となる。

(3)
方法論としては、「20世紀の奇跡」とも言われるアジアの経済的成功の経験に学ばない手はない。アジアにおける経済的オーナーシップを自覚する労組と雇用者のより生産的な関係、都市の中産階級を原動力とする経済発展(既にアフリカにおいて無数のマイクロ企業が台頭しつつあるのは望ましい兆候)、数学教育・技術訓練の振興、教育における家族の役割の見直し、200もある大小のアフリカ地域経済機構の整理・統合、アフリカの天然資源の効果的な活用、開発のブレーキとなる伝染病への対策等が鍵となる。プロテスタンティズムや「儒教の教え」に代わるアフリカ特有の精勤の美徳を資本主義的発展の原動力として高揚していくことが重要。

(4)
アフリカ再生のためには、全ての機会を活用しなくてはならず、失敗すればアフリカは更に孤立するだけである。個々のアフリカ諸国は自国の復興に専念し、いつの日か世界レベルに到達する夢を追及すべく、アフリカ全体が一致団結しなければならない。アフリカが「死の大陸」と「再生不能な大陸」の間を止めどもなくさまよいあるかないよう、我々の世代がアフリカン・ルネッサンスに向け道を切り拓かなばならない。
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2008年10月02日

南アフリカ、「カバ注意」の道路標識

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日本の道路を走っていると、時々、"鹿"などが描かれた"動物注意"の道路標識を見かけます。
「いったい何種類の動物の道路標識があるのだろうか?」と思っています。

南アフリカに滞在中、「カバ」が描かれた道路標識があり、驚いてしまいました。
いくら南アフリカと言っても、「ゲームリザーブ(自然動物公園)以外に、ワニは棲んでいても、カバは棲んでいないだろう」と思っていたからです。
カバの道路標識は、それほど街から離れていない、ダム(人造湖)の近くにありました。

この道路標識の場所を走るたびに、「写真に撮影したい」と思いましたが、ついに撮影することができませんでした。
というのも、2車線(対面通行)の道路であり、車を停車させる場所がなかったからです。
車が来ないところを見計らって、車を停めて撮影することも可能だったのでしょうが、当時はハイジャックが怖くて車を停めることができませんでした。

南アフリカの雑誌を見ていましたら、カバの道路標識の写真がありました。
3つの穴があいていて、よく見るとその穴は銃痕でした。
自分で撮影した2枚の道路標識の写真にも銃痕がありました。

(お詫び:カバの道路標識の写真は南アフリカの雑誌からお借りしました)

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posted by southafrica at 23:29| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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