2009年07月31日

ヨハネスブルグの空港

ヨハネスブルグ空港に着いた。
ここで不思議なことが起きた。
みんな入国手続きに向かうのである。
行く時は国内線のターミナルから出発したのだが、帰りは国際線のターミナルに到着していたのである。

入国手続きを待つ列に並んだ。
プロゴルファーのランガーやミケルソンが並んでいた。
12月上旬に、サンシティーのゲーリープレーヤー・カントリークラブで開催される、ミリオンダラーのトーナメントに来ていたのだ。
ミケルソンは独身のはずだが、きれいな女性をつれていた。彼が今独身かどうかは知らない。
サインを貰いたいと思ったが、入国手続きの列で貰うのは失礼と思い、外に出てからと思った。

「私はケープタウンから来たので、入国手続きはいらないはずでだ」と思った。
近くにいた係員に、「私はケープから来たので入国手続きはしなくてもよいはずです」と言うと、「あっちの出口から出て下さい」と言って指差した。
何と手荷物検査もされずにフリーパスで外に出ることが出来たのである。
「これならば密入国なんて簡単だし、課税のうるさい南アで簡単に物が持ち込める」と思った。そう、簡単にアメリカから密入国できてしまうのである。
密入国は出来たとしても、出国する時が大変なのは言うまでもない。

しばらく待ったがランガーやミケルソンは出て来なかった。
結局サインは貰うことが出来なかった。
(この数年後、私の友人はアーニー・エルスのサインを帽子に書いてもらった。別の友人はミス南アフリカのサインをTシャツの背中に書いてもらった。よくよく考えてみれば、私はサインをもらうのが下手みたいである)

ゴルフのミリオンダラーダラートーナメントは毎年12月上旬に、世界のトッププレーヤーを12名招待して開催される。
数年前にはタイガー・ウッズも来ている。
確か、さっそうとデビューした年も招待されたがスケジュールの調整が出来ず、その翌年に南アフリカに来ている。
日本選手は、もう20年ぐらい前かもしれないが青木プロが出場している。

青木プロは、友人のゲーリー・プレーヤーの推薦で招待されたのだそうですが、当時はまだアパルトヘイトの時代で、日本との国交がなかった。
「出場を辞退するように」と言われたそうですが、青木選手は「スポーツに国境はない」と言って出場した話しは有名な話しだそうです。
以前にも書きましたが、ゲーリー・プレーヤー・カントリークラブでプレーした時に、キャディーから「エイオキ(Aoki)は元気か?」と聞かれたことがあります。
私はここのプロショップで、若い頃の青木プロの写真が掲載されている、当時のパンフレットを見たことがあります。

ケープタウンから東の海岸沿いのルートは、ガーデンルートと呼ばれ、花の咲く季節はとても美しいらしい。
次回は、ポートエリザベスから何泊かしながら776キロを車で走って、ケープタウンまで行ってみたいと思います。

(完)

(お詫び:かつてのテレビ放送から、女子Wカップの映像を1枚お借りしました)

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2009年07月30日

ケープタウンの空港

ケープタウンの空港

最後の日に風が止んでテーブルマウンテンに登ることが出来た。
ゴルフはできなかったが、ケープタウンへ来ることができ、最高の旅であった。

ケープタウン空港に着いた。
ヨハネスブルグ行きの飛行機が数便あった。
こんなに何便もあるのかと思ったら、ケープタウン発だけでなく、米国などから入って来る便もあるのだという。
交渉したら、1便早いマイアミからの国際便に変更することが出来た。

手荷物検査で引っかかった。
バックパックの中からは、石と砂がゴッソリと出て来た。
検査のお兄さんとお姉さんに「これは何ですか?」と聞かれた。
「これは砂浜の砂。これは喜望峰の石」と言って説明した。
「何で持ち帰るのですか?」とあきれたような顔をして聞いたので、「私の趣味は石を集めることです。記念に日本へ持って帰るのです」と説明した。

そして「これはお土産屋さんで買ったキャッツアイです。これはテーブルマウンテンの頂上から持って来た石です」と説明した。
よくよく考えてみれば、喜望峰もテーブルマウンテンも国立公園である。
何とか言われると思ったが、無事通過することが出来た。

このくらいのものを持ち出すのなら何とも言われないだろうが、動物の骨などはかなり厳しくチェックされることがあるみたいです。
私の知人は、子どもの鰐の骨一体を日本へ持ち帰ろうとしましたが、チェックにひっかかって没収されてしまったそうです。
ある人の話では、購入する時に証明書を書いてもらうのがよいそうです。

ビジネスクラスの航空券がさほど高くなかったので、ビジネスを買ってあった。
ケープタウン旅行は、間際になってチケットを手配したため、エコノミーのチケットが購入できなかったためかもしれない。
ケープタウンでほとんどの客が降りたらしく、機内はガラガラであった。
飛行機の中に入って驚いた。
まるで塵の中である。
新聞、雑誌、食べ物の袋、毛布、枕がシートの上や床に散らかり放題なのである。
新しいお客を乗せるのだから、少しはきれいにしてもらいたいと思った。

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2009年07月29日

テーブルマウンテンの頂上

頂上の駅を降りると、麓で思っていたよりも強い風が吹いていた。
風が強くなるとケーブルウエイは停止になるらしい。
その時はたぶんサイレンが鳴って知らせてくれるのだろう。
半袖のポロを着ていたが寒いのでセーターを取り出して着た。
肌はヒンヤリとしているのに、強い紫外線を肌に感じた。
駅の近くのレストランの前では、ここに棲むというロッグダーシーに可愛い女の子が餌をあげていた。

テーブルマウンテンの頂上には遊歩道があり、ハイキングコースになっていて道路標識もあった。
ここに来たからには、「ケープポイントを見たい」と思った。先ずは右手の方へどんどん歩いて行った。
ここには誰も来ていなかった。
道路脇の岩盤の隙間には私の見たこともない草花が沢山咲いていた。
「もしここで転んで歩けなくなったらどうなるのだろう」と思った。

テーブルマウンテンの端の方まで歩いて行った。
ここから遥か彼方にケープ半島が見えた。
しかしケープポイントは見ることが出来なかった。
更に先にあるのだろう。

もと来た道を途中まで戻って、右折してケープタウンの市内側の見えるルートに行ける遊歩道を歩いた。
途中で、ケーブルウエイの駅で会った女性たちと出会った。
一緒に記念写真を撮らせてもらった。
後で写真を送ることを約束して住所を書いてもらった。
彼女たちは南アフリカ北部のボツワナに近い小さなまちの病院の住所が書かれていた。
休暇(オンリーブ)を利用して、ミニバスで何日かかけて来たのだそうです。
小さなミニバスに、この太った身体を車の中に押し込めて乗る大変な旅だろうと思った。

南アフリカに住む彼女たちが、一生に一度に来られるかわからないケープタウンに、日本から簡単に来てしまう自分が不思議であった。
サントンの電気ショップのテレビを、数十人の黒人の方達が動物のビデオを見ている。
遠い日本から来て、簡単に動物を見に行ける自分が不思議でならない。
もしかしたら、南アフリカに住む黒人の方達も、自然の動物を見る機会が少ないのかもしれない。

遊歩道を歩いてケーブルウエイの駅の近くまで戻って来た。
眼下にケープタウンの町が一望できた。
昨日ツアーで行った港の町や、遠くにケープの海を見ることが出来た。
昨日まで観光したケープタウンの地図がやっとのみこめた。
思っていたよりも小さな街であった。
標高1088メートルから見れば、大きな街であっても小さく見えてしまうのかも知れない。

「ぜひ2004年のオリンピックを、このケープタウンで開催してもらいたい」と思った。
(当時、ケープタウンはオリンピック開催地の誘致をしていました)

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2009年07月28日

テーブルマウンテン

最終の4日目の午前中は、由緒あるゴルフ場でゴルフをする予定にしていたが、ケープサンホテルのマーニーさんに「今日はケーブルウエイが動いているので、テーブルマウンテンに登れますよ」と言われたので、タクシーを呼んでもらい、テーブルマウンテンの麓のケーブルウエイの駅に行った。

テーブルマウンテンの麓の駅から頂上の駅を見ると、少し大げさな表現になるが、頂上付近は垂直に昇っているようであった。
久し振りにケーブルウエイが動いたためか、長蛇の列だった。
ツアーで来たお客は、別の入口から優先してケーブルウエイに乗れるらしかった。
私の前に並んでいた5人の黒人の女性のグループが、それを見て仲間同士でブツブツ言っていた。

時々、後ろを振り返って、私の顔をみて何か囁いていた。
後になって分かったのだが、彼女たちにしてみれば、日本人が珍しかったらしい。
南アフリカの都会で、ウロウロしていても珍しがられることはほとんどない。
しかし、田舎の観光地でない所に行くと、やはりジロジロ見られるのである。
私の住んでいた街には、日本人はおろか東洋人がほとんどいなかった。
私の家でパーティーをやると、奥さんや子供がわんさとやって来たのである。

黒人の売り子がきて、「コールド・アイス・ウオーター」と言った。
売り子が通り過ぎて行った。
彼女がまた振り返って私の顔を見たので、英語で「コールド・アイス・ウオーターって何ですか?」と聞くと、何のことかわからないらしかった。
仲間の女性とヒソヒソと「コールド・アイス・ウオーター」と言っていたが、しばらくして一斉に笑い出した。

ここで1時間くらい待たされたかもしれない。
やっと乗ることができた。
ケーブルウエイからはケープタウンの街が一望できた。
頂上近くになると、正面に岩の絶壁が迫ってきて、このまま行けば壁に激突するのではないかという錯覚になった。

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2009年07月26日

ステレンボッシュ

バスはステレンボッシュという街で1時間ほど休んだ。
ステレンボッシュはケープタウンから35キロ離れたところにある歴史で、1987年にオランダ人が移住してワインの製造がはじまったといわれている。
ここは有名なステレンボッシュ大学のある教育都市でもあります。

先ずはマザー教会に行き、美しいステンドグラスや珍しい形のパイプオルガンなどを見た。
この教会のすぐ近くにある小さな博物館に寄った。
ここが有名な農家などを忠実に復元させたビレッジ博物館だったかもしれない。
そして街を散歩した。
大きな街路樹が両側にあった。
その大樹はオーク(樫)だったのだろう。
ポプラもあったような気がする。

帰り道で最後のワイナリーに寄った。
金属製のワインの貯蔵タンクが目にとまった。
「昔はどのようにワインを保管していたのだろうか?」と思った。
「これから南アフリカのワインはどんどん発展するだろうな」と思った。
「ここで暮らして日本にワインを送る生活も悪くはないな」と思った。

「ここのワイナリーは小さいので生産量が少なく、ヨハネスブルグの酒屋さんでは買えませんよ」と言われたので、赤ワインを2本買った。
そのうちの1本は南アフリカで飲んでしまったが、残りの1本は日本に持ち帰り、今でも飲まずに残っている。
数年後、南アフリカの思い出を忘れてしまいそうになった時に飲もうと思っている。

今度もしワインランドへ行く機会があったなら、どこかの小さなペンションに2泊して、歩いて街中をブラブラしてみたい。
そんなノンビリとした南アフリカの旅をしてみたいと思っている。

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2009年07月25日

ワインランド

ワインランドには17〜18世紀のオランダ風の家がそのまま残されていたり、その当時の家の造り方が現在でも残されていた。
この遠いアフリカの地でも、先祖のヨーロッパを忘れないでいるのだろう。
この様式を守ることによって、彼らは祖国との繋がりを保ち続けているのかも知れない。
もしかしたら、このワインランドにはヨーロッパよりも昔のヨーロッパが残されているのかもしれません。
彼らはケープ・ダッチと呼ばれているそうです。

パールという街にあるワイナリーに寄った。
パールとは真珠のことで、山頂にある大きな石が雨上がりの太陽の光を受けて、真珠のように輝いたことから名付けられたそうです。
ここでワインの試飲をして、芸術的な彫刻がされた大きな樽を見学したり、開拓当時の家具などが博物館のように残されている家を見学した。

食事はフランシュフックという街の小さなレストランに寄った。
レストランから山の中腹を見ると、文字が書かれていた。おそらく、「Franschhoek」と書かれていたのだと思う。
ここは軽井沢にあるような、小さなお土産屋、ペンション、レストランが混在していて、静かな落ちついた街であった。

食事を終えて出発したバスは、すぐにフランシュフックの街外れにある記念碑で停まった。
私はこの記念碑が何であったのか、この旅行記を書くまで知らなかったのです。
今になって思えば、私の知人が「フランシュフックへ行って来たのか?」と聞いた理由が今になってわかったのです。
その友人はフランス系移民の子孫の方です。

フランスを追われた新教徒ユグノー派は、南アフリカに移住して来たそうです。
しかしケープ総督はケープ市内に彼らが住むのを嫌って、ここフランシュフックに土地を与えたそうです。
フランス人たちによりケープのワイン作りが一層さかんになったそうです。
この記念碑はユグノー派の移住250年を記念して1983年に建てられたそうです。

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2009年07月23日

南アフリカのワインランド

今回は最初から話しが横道にそれてしまいました。
実のところ何度かワインランドへ行っているのですが、行ったワイナリーの名前や場所が定かではないのです。
よく覚えているのは、KWVに行って大きな樽を見て、どこかの農園に寄って50R支払ってチーターに触れたことを鮮明に覚えています。

2人の飼育係がチータを横に寝そべらせてなだめている間にチターの背中に触れたのですが、「ゴロゴロ」という音がしているような感触で、大きな猫に触れているみたいでした。
そう、この日は観光客が大勢いて、チーターは興奮気味でした。
大きな檻の中入れてもらうまでに30分ほど待たされました。
待っている間、何度も「チーターに触れるのを止めよう」と思いました。
数年前にヨハネスブルグのライオンパークで、このようにライオンに触れようとした観光客が襲われたことを知っていたからです。

ケープタウンの街を出発したツアーバスは、ワインランドへ向かった。
道路の左手に鉄道が走っているのが見えた。
「かの有名な5星ホテルなみのブルートレインが走っている線路かもしれない」と思った。
いつかは乗ってみたいと思っていたが、ついに乗る機会を逸してしまった。
「いつかは乗れるだろう」と安易に考えていたのだが、南アフリカ滞在は、あっけなく終ってしまった。

「南アフリカ滞在の最後の1か月ぐらいはノンビリしよう」と思っていたが、1か月、1か月と仕事が延び、ついに12月になってしまった。
気がついてみれば知人たちはクリスマス休暇に入ってしまい、ほとんどいなかった。
年始からは日本に帰って、新しい仕事をしなければならない。
せめてクリスマスイブには日本にいよう。
そう思って南アフリカを出発したのは12月23日でした。
最後の帰国はヨーロッパ経由にしようとか、パース経由にしようとか、米国経由にしようとか思っていたが、それも実現しなかった。

走って行く道路の両脇には葡萄園が延々と続いていた。
今日のツアーは、運転手の他に女性のガイドさんが乗っていた。
聞き易い英語であり、英語が苦手な私でも幾分か理解することが出来た。

ワインランドに行く途中、アフリカーンス言語記念碑に寄った。
アフリカーンスで書かれた新聞発行100年を記念して1975年に建てられたそうです。
滑らかな曲線で造られた塔であった。
アフリカーンスは、オランダからの移住者によって作られた言語で、「このモニュメントもアパルトヘイトの遺産なのだろうか?」と思った。

アパルトヘイトの象徴ともいえる、このモニュメントを造る作業を行ったのは黒人の方達です。
いつものことながら、「彼らは一体どんな気持ちで働いていたのだろう」と思ってしまった。

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2009年07月22日

南アフリカのワイン

3日目は、ケープタウンの東方にあるワインランドのツアーに行った。
南アフリカのワインは、ここに移住したオランダ人によって1687年に製造がはじまったそうです。
数々の苦労によって世界でも有数のワイナリーになったそうです。

樽を作るためにオーク(樫)の苗木もヨーロッパから持って来たらしいですが、気候の違いのためか材質もよくなかったらしく、結局は成木をヨーロッパから輸入したらしい。
コルクの材質も良くなかったらしく、南アフリカの昔のワインは残されていないらしいです。

南アフリカでは、30〜40R(当時R=25円)も払えば、ヨーロッパ産の数千円に相当する、とても素晴らしいワインが飲めます。
アルコール好きでなかった私も、南アフリカに滞在している間にすっかりワイン好きになってしまいました。
私はワインに詳しくありませんが、ヨーロッパなどのワインと比べても見劣りがしないと思っています。
でも、どちらかといえば名前の知れた値段の高いフランスワインの方が、美食家(?)には好かれるのでしょう。

南アフリカのワインは、アパルトヘイト政策もあったためか、日本ではあまり知られていませんでした。
もともと南アフリカの農場の規模は小さく、国内の消費が殆どであったためみたいです。
でも最近では、商社が中規模の農場と契約して美味しいワインを輸入しているみたいです。

日本でよく知られているのがKWVとネダーバーグかも知れません。
KWVは大手のワイン業者が輸入していて、一般のスーパーマーケットでも目にすることが出来ます。
ネダーバーグは、スプリングボックの会が共同輸入して販売していましたが、今はどうなっているのでしょうか?
ケープワインとかテーブルマウンテンワインという銘柄をよく見かけますが、ワイナリーがよく分からないみたいです。

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カーステンボッシュ植物園

そういえば、別の機会に日本から来た友人を、数人つれてケープ半島のツアーに行ったことがあった。
我々日本人が4人と、ヨーロッパから来たという2組のご夫婦であった。
この友人がとんでもない友人で、ミニバスの後ろに乗り込んで、ガイドが説明しているのに日本語でベラベラとお喋りをしているのである。

まあ、外国に行ってツアーに行けば、分からない英語でも静かに聞いているのが礼儀だろうが、そうではなかったのである。
ガイドはあきれてしまい、日本人を無視して案内をしゃべっていた。
そしてガイドは私に、「私が英語で説明しますので、あなたが日本語で説明して下さい」と言った。
このガイドさんが英語で説明してくれたのですが、私の貧しい英語ではとても理解できないでいました。
でも何度か来ているので、その記憶で説明していました。
日本から来た友人もガイドも、「あなたの英語のヒヤリングはすごい」と言っていました。

このツアーで忘れもしない思い出があるのです。
日本人の友人が、昼食に寄ったレストランで、「ロブスターを食べたい」とガイドにいったのです。
でも寄ったレストランで、「ロブスターがない」と言われたのです。
女性のガイドが、「この日本人が食べたいと言っているので、どうにかならないだろうか?」と言って交渉してくれました。
結局、食べられることになったのですが、この友人たちは「いらない」と言ったのです。
しかたがないので、私とガイドさんでロブスターを注文して食べました。
私が、鞄の中から醤油のパックを取出すと、女性のガイドが「準備がいいですね」と言って、自分の皿にも醤油を注ぎました。
この女性のガイドさんはイタリア系の方と言っていましたが、醤油が好きで、ケープタウンで購入して使用しているそうです。

ミニバスは、ケープ半島にあるいフルート・コンスタンシアのワイナリーにより、カーステンボッシュ植物園によった。この植物園では南アフリカ特有の沢山の植物を見ることが出来た。
何種類ものプロテアの花が咲いていた。
アルバムを見ているのだが、ここの植物園で撮影した写真が数枚しかない。
たぶん美しい花に見とれて、写真を撮影することを忘れてしまったのであろう。

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2009年07月21日

ここが喜望峰

ミニバスは、ケープポイントの駐車場を出発した。
ミニバスは5分ほど走ると、左折して海岸の方へ降りて行った。
運転手兼のガイドが、「ここが喜望峰だ」と言った。
私は、今まで見てきた小高い丘の上にあるケープポイントが喜望峰だと思っていたが、喜望峰はここだったのである。
海岸に”喜望峰”と書かれた看板があった。
向かって右側に英語で "CAPE OF GOOD HOPE" と書かれ、左側にアフリカーンス語で "KAAP DIE GOEIE HOOP" と書かれていた。

運転手兼のガイドが、「背後にある小高い丘が喜望峰だ」と言い、「あまり時間はないが、急いで登って来られるだけの時間はある」と言ったので、その丘に登った。
速足で登ったため息がゼイゼイとしていて、喜望峰の上に立ったという気分にはとてもなれなかった。
この海の景色は、先ほどのケープポイントで見てしまった後であったからかもしれない。

話しは余談になってしまうが、この後、何度か喜望峰を訪問するチャンスがあった。
その殆どのツアーが、この喜望峰に登る時間がなかった。
あるツアーでは、「これから昼食に行くので登る時間がない」と言われたことがある。
「我々は日本から来たので、ぜひ登ってみたい。もう生きているうちにここに来られないだろうから」と言うと、ツアーで一緒に来ていたイギリスから来た老夫婦が、「ぜひ登ってきて下さい。そして私の分も見てきて下さい」と言って、ガイドを説得してくれた。
そう、ここ喜望峰ではご老人にはかなり厳しい道で、登るには無理だったのである。

ミニバスはケープ半島の東側を通り、ボルダースビーチでペンギンを見て、サイモンズタウンを通りフィッシュホークに着いた。
この海岸の道は、素朴なたたずまいで観光地らしからぬ街が続いていた。
この海岸沿いにあるフィッシュホークのレストランに寄って昼食をとった。
もう午後の2時を過ぎていたかも知れない。

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2009年07月20日

大西洋とインド洋の境目

遠くに見える海の色は、濃い緑のようでもあり、青のようにも見えた。
運転手兼のガイドは、「インド洋と大西洋のプランクトンの違いだ」と言った。
「ケープタウンへ旅行に行って来る」と南アフリカの友人に言った時、友人は「ケープポイントに立って海を見ると、左側の海の色と右側の海の色が違う。
そこには一本の線がはっきり見える」と笑いながら言っていたのを思い出した。

まあ、はっきりとは色の違いなど見えるはずはないのだろうが、明らかかに場所によって海の色が違っていた。
昨日行った、ツー・オーシャン・アクアマリンでは、「大西洋の魚とインド洋の魚は違う」と書いてあった。
海の色が違うというのは本当のことなのだろうと思った。
ケープポインの頂上で、しばし海を眺めていると、「はるばるアフリカの南端、地球の南端まで来てしまったのだ」と感じた。

登る時はバスで登った道を、歩いて降りてきた。道の両脇には私が今までに見たこともない花が咲いていた。
その木々の間を、“ケープ・ホワイト・アイ”という、日本の“目白”とそっくりな小鳥が飛んでいた。

売店によって絵葉書2枚とTシャツを買った。
売店のすぐ横には赤いポストが置いてあった。
ここから葉書を出そうと思い、売店で切手を買おうと思ったが、売っていなかった。
売り切れていたのか、もともと売っていないのか、その時の会話はよく覚えていない。
昨日は、ケープサンのホテルから葉書を出したのを思いだした。
バックパックの中を丹念に調べると、ガイドブックの中に、その時に買った切手が9枚入っていた。

ポストの横で葉書を書いていると、お年寄りのご夫婦が話し掛けてきた。
私の書いている文字をじっと見ていた。
「これは日本語です。パズルみたいで読めないでしょう」というと、お年寄りがガイドブックの隙間からはみ出している切手を指差した。
そう、誰もが切手を探していたのである。
そのお年寄りに切手を2枚あげた。
すると小学生ぐらいの子供さんも来た。
結局、自分で2枚取り、残りの7枚は上げてしまった。

切手代を払おうとしているので、「その葉書が無事に届けば嬉しいです」と言って断った。
ケープポイントから送られた葉書を見て、「この切手は親切な日本人のもらったのだ」と思ってくれただろうか?

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ケープポイント

平な岩盤の大地には、見たこともない草花が咲いていた。
ここ南アフリカには、大小さまざまなプロテアという花があるそうです。
最も大きいジャイアント・プロテアは南アフリカの国花になっています。

だんだんと、この先に喜望峰があるという雰囲気になってきた。
途中のゲートでミニバスは止まり、入園の受け付けをした。ここから先は、ネイチャー・リザーブ(自然保護区)になっているらしい。

ミニバスは海が眼下に見える道路で停まった。
運転手兼ガイドが、遠くを眺めていて「あそこにボック(カモシカの一種かもしれない)がいる」と説明してくれた。
私は、大地とボックが同じ色のためなのか、見つけることが出来なかった。
道路沿いに停められた自動車の屋根の上にはバブーン(猿=ヒヒ)が乗っていて、我々を迎えてくれた。
もし自動車の窓を開け放しにしておけば、すべての物が持ち去られてしまっただろう。

ケープポイントは荒れた大地を通りすぎた、その先端にあった。
駐車場の近くには、2軒のそまつな土産物屋さんがあった。
ケープポイントはこの駐車場から、さらに100メートルほど高い所ところにあり、急な坂道をバスに乗って5分ほど登ると到着した。
時間さえあればバスに乗ることもないだろう。回りの風景を眺めながら歩いて登っている人達もいた。

今では、このフライング・ダッチマンと呼ばれたバスも、レールの上を走る電車になり、駐車場も広くなって大きな売店やレストランも出来た。
もう半年以上前かもしれませんが、このメールマガジンの読者の方から、喜望峰から送ったEメールも頂きました。
喜望峰は、ここ数年で一気に観光地化しているみたいです
でもこの当時は、この有名な喜望峰が観光地化されずに残っていたのです。
私は、この世界的に有名な喜望峰が、開発もされずに残っていることに感激したのです。

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ケープ半島観光、ドイカー島

別の機会に、ツアーでペンギンのいる浜までつれて行ってもらったことがある。
この時も、ガイドの言う「ペングゥィン」という発音が聞き取れず、砂浜まで行ってペンギンを見るまで、何処に来たのかわからなかったのである。

小さな観光船は出港して、右折して海岸沿いを進んでいった。
10分ほど走ると海中に浮かぶ小さな島が見えてきた。その島の上は真っ黒に見えた。
しばらく行くと、アザラシが数頭、船の周りを泳いでいるのが見えた。
まるで我々を歓迎しているようだった。

島の方向を見ると、海一面がアザラシで真っ黒だった。
直径100メートルほどの島の上には、岩肌が見えないほどアザラシがうようよしていた。
動物匂がしてきた。アザラシの糞の匂いであった。
アザラシも数頭が泳いでいたり、岩の上で昼寝をしていればかわいいのだろうが、何百頭(?)もが、一箇所に固まっているのを見ると気持ちが悪かった。

数百メートル先の海岸の岩場を見たが、アザラシの姿は見えなかった。
なぜこの小さな島だけに、これだけのアザラシが棲んでいるのか不思議でならなかった。
今でも、不思議に思っています。
「この狭い場所に、これだけのアザラシが生きていけるだけの食糧があるのだろうか? それとも、このアザラシって餌付けをされているのだろうか?」と。

ドイカー島のアザラシ見学が終了して、ミニバスは喜望峰に向かって走り出した。

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ケープ半島へ

ミニバスは喜望峰に向かって走って行った。
実は、ここからどのように喜望峰まで行って戻ってきたのか、よく覚えていないのです。
寄った場所はかなり鮮明に覚えているのですが、何度かツアーで喜望峰へ行っているので、その記憶がごちゃ混ぜになっているのです。

海岸沿いの断崖の道では、何人もの人達がスポーツ用の自転車が走っていた。
ここで開催される自転車レースは有名だそうです。
私の南アフリカの知人は、この自転車レースに出場するのを楽しみにしていて、週末はトレーニングをしていました。
「彼もたぶんこの道を走るのだろうな」と思った。
けっこうな登りが続いているので、「とても私では無理だな」と思った。
友人はそろそろ40歳のはずである。
それでもこの自転車レースに出場しようとしている。
やはり南アフリカ人はタフである。

運転手兼のガイドが、「この辺は数年前に大火災があり焼け野原になった」と言っていたような気がする。
所々に草木のない場所があったので、それが当時の影響だったのだろうか?
そう言えば、数ヶ月前の南アフリカの新聞で、ケープタウンで山火事があったと報じられていたが、その影響はどうだったのだろうか?

バスは海岸沿いの道をさらに走って行った。
運転手兼のガイドが、「右手に見える丘の中腹に城のような建物がある」と説明してくれたような気がする。
その建物は、「南アフリカで有名なビールのカーソル(キャッスル)のラベルに印刷されているモデル」と言ったような気がする。
おそらく、このビール会社を作った人に関連がある建物なのであろう。

バスは小さな船着場に着いた。ここはホート湾にある漁港であった。
最初、何のためにここに寄ったのかわからなかったが、運転手兼ガイドは「ここで1時間ほど休憩する」と言った。
「船に乗ってくる時間がある」と言った。
そして、「ここからアザラシのいる島の観光に行ける」と言った。
バスの中でも説明してくれたらしいのですが、私はアザラシを英語で何て言うのか知らなかったので、説明がよくわからなかったのである。

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テーブルマウンテン山麓へ

ケープタウンの2日目は、テーブルマウンテン経由の喜望峰の1日ツアーであった。
ケープサンのホテルに迎えに来たミニバスは、いくつかのホテルに寄りながら、10人ほどの観光客を乗せた。
ミニバスは市街地からか少し離れているホテルにも寄ったが、安くて安全そうなホテルがあるみたいであった。

このケープタウンには、アパートメント形式の貸室も多いそうです。
炊事道具などがすべてそろっているので、長期滞在者に向いているそうです。
私がケープタウンを訪れたこの当時は治安が悪く、アパートが強盗に襲われたというニュースが新聞にしばしば掲載されていました。
今はどうなっているのだろうか?

先ずはテーブルマウンテンへ登るため、小高い丘の上にあるケーブルウエイの駅に行った。
悪天候のためケーブルウエイが運休していた。
ここではケープタウンの街を眼下に眺めただけであった。
テーブルマウンテンの頂上を見上げたが、強い風が吹いているとはとても思えなかった。
このくらいで運休してしまうのなら、この時期に乗れる方が幸運なのだと感じた。

ミニバスは、テーブルマウンテンのケーブルカーの駅から、眺めのよい公園などに寄った。
見晴らしのよい丘の上でもミニバスは停まった。
彼方にロベン島が見えた。
この島にマンデラ大統領(当時)が、18年間も拘留されていた島である。
あまりにも小さな島だったことに驚いた。
島からは夜になればケープタウンの街の灯かりが見えたはずである。
18年間もケープタウンの街の灯かりを見ながら過ごしたと思うと、「残酷だな」と思った。
もしも、私が隔離されるならば、「このような街の近くがいいだろうか? あるいは街から遠く離れた島がよいだろうか?」と思った。

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2009年07月07日

ケープタウンのウォーターフロント

夕食はウォーターフロントですることにし、ホテルでタクシーを呼んでもらって行った。
週末の夜は若者たちが集まり賑やかな場所だそうです。

まだ食事の時間には早かったので、ツー・オーシャン・アクアマリンへ行った。
南アフリカの友人から「インド洋と大西洋の両方の魚がみられるので、必ず見て来いよ」と言われていたのである。
私は魚のことはよく分からないが、水槽の前にあった説明書によれば、世界でも珍しい魚がたくさんいるのだそうです。
深海魚の前で長らく見ていたが、その魚が何であったか覚えていない。
シーラカンスの剥製もあったかもしれない。

余談だが、数ヶ月前の南アフリカの新聞にシーラカンスの写真撮影に成功したと載っていた。
場所は、東海岸のセントルシアという所で、海峡の向こうはマダガスカルです。
でも写真撮影に成功したダイバーは、写真を撮影した後になくなったそうです。
いったいどの位の深さまで潜ったのか興味のあることです。
それからしばらくして、ヨハネスブルグから来た若いカップルが夜、川で泳いでいて鰐に襲われて男性が亡くなったと新聞に掲載されていました。
このカップルは、海で泳いでいたつもりが、河口だったのだそうです。

夕食は、日本の観光の本にも載っている”ザ・マッスルクラケット”によった。
入口付近はシーフードの食べられるバーになっていたが、奥はビュッフェ・レストランになっていた。
ここで久振りに海の幸の海老を食べた。
生の海老を料理してもらたのだがクリーム煮であった。
やはり海老は刺身で食べたいものである。
刺身が無理としても、サットゆでてもらい、レモン汁をかけて、醤油をつけて食べたい気持ちになった。

ウォーターフロントの中ではあったが、久振りに夜の街を歩いた。
南アフリカに来て1ヵ月以上になるが、夜間は一度も外をあるいていないことに気がついた。
スタンド式のバーに寄ってビールを一杯飲んだ。
ウォーターフロントの入口でタクシーに乗ってケープサンホテルに戻った。

ケープサンホテルはあまりのも大きすぎて、中はひっそりしていた。
部屋にいてもやることがないのでロビーに降りてみたが、ここもひっそりしていた。
ここケープタウンには、日本人の方が経営するレストランやカラオケがあるそうです。
でも今回は、夜は何処にも出掛けないで過ごすことにした。

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2009年07月06日

プケープタウン観光ツアー

ケープタウンの半日ツアーの最後は湾の対岸へ行き、遠くからケープタウンの街とその背後にそそり立つテーブルマウンテンを見た。
そこの海岸は別荘地みたいなたたずまいの所で、ヨーロッパを思い出させるような白い壁の家が建ち並んでいた。

ガイドが「これは星の砂だ」と言った。
手にすくって見ると軽い。
砂ではなく貝殻が小さく砕けたものであった。
砂をよく見ると何個もの星型をした小さな貝殻のかけらがあった。
あいにくこの砂を詰める袋を持っていなかった。
フィルムケースからフィルムを取出して、砂を詰めた。
この砂はいまでも、私の机の上に置いてある。
また、ケープタウンのウォーターフロントで買った、砂と一緒に蟹が樹脂に埋められている文鎮も机の上に置いてある。

この砂浜からケープタウンにあるケープサンホテルに向かった。
白人のガイド兼の運転手はマイクを手に握り締めて運転している。
日本ならば、「不安全だ」とお客から文句が出るかもしれない。

途中に黒人の方の住むタウンシップが数百メートルも続いていた。
このケープタウンに、これだけの黒人すべてが働ける仕事があるのだろうか、と思った。
ガイドは「南アフリカのビッグ・プロブレム」とまるで他人事のように言ったのが、今でも耳から離れない。

この黒人の方のタウンシップが終ると、カラードの方たちの街が見えた。
家は一気にきれいになり、大きな家は私が南アフリカで住んでいる家よりも立派である。
勿論、日本にある我家とは比べようがいくらい立派である。
でもこの立派なカラードの方々の住む街も、白人の方々の住むケープタウンから隔離されていたのである。

ツアーのミニバスは市内に戻った。
右手に大きな病院が見えた。
この病院は世界で最初の心臓移植が行われたらしい。
ある日本人の方が言っていた。
「世界最初の心臓移植は、南アフリカだから出来たのだ」と。

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2009年07月05日

ケープタウン市内観光

ケープタウン市内観光

マーニーさんに頼んで、ツアーを予約してもらった。
今日の午後は市内観光。明日は喜望峰。明後日はワインランド。最後の4日目は予備日とした。
もしケーブルウエイが動いていれば、タクシーで麓のケーブルウエイの駅まで行って、登ろうと思った。

しばらくして、マイクロバスがロビーに迎えに来て、市内の半日観光ツアーに出掛けた。
この時期、プレトリアのジャカランダ(アフリカ桜)はすでに散っていたが、ケープタウンは色鮮やかな花がたくさん咲いていた。

まず行ったところが南アフリカ博物館であった。
ここには南アフリカの動物の剥製がたくさん置かれていた。
私が見たいと思っていたクワッガは、薄暗な片隅に私のイメージとは違う動物のように置かれていた。
クワッガとは、上半身はシマウマのような模様があり、脚は縞模様がなく茶色で、すでに絶滅してしまった馬です。
このケープ半島の動植物研究所(?)では、脚の縞模様が薄いシマウマをかけ合わせて、クワッガを甦らせようとしているそうです。
ある雑誌に書かれていた記事によると、この剥製から調べたクワッガのDNAは、シマウマとよく似ているのだそうです。
壁に沢山の鳥の剥製が飾られていて、鳥好きの私には最高であった。で
もこの剥製は少し保存状態がよくないみたいに感じた。

次に城塞のキャッスル・オブ・グッドホープという所に行った。
庭に衛兵が整然と並んでいた。
衛兵の交代式は週に一度行われるらしいが、今日は、今年最後の国旗を降ろすセレモニーであったらしい。
「その昔、南アフリカの白人の方たちは、義務で2年間入らなければならなかった」とガイドが説明してくれた。
そして「カラードは自由で、希望すれば入れた」と説明してくれた。
たくさんの黒人の衛兵がいた。南アフリカは時代とともに変化しているのを感じた。

その入口には数本の国旗が掲げられていた。
オランダ、イギリス、南アフリカの古い国旗と新しい国旗などがあったかもしれない。
これらの国旗は、南アフリカがどこの国に統治されたということではなく、この軍隊がどこの国の軍隊であったかの歴史を表しているらしい。

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2009年07月02日

テーブルマウンテン

ケープタウンは、世界的に有名な喜望峰だけでなく、テーブルマウンテンも有名である。
海岸から一気にせりあがっている山があり、その頂上がテーブル状になっている。
この山の頂上までケーブルウエイが動いている。
歩いても登れるらしいが、日程が少なく、準備をまったくしていない私には無理である。
数年前に強風にあおられて足を踏み外して落下した日本人の方がいるらしい。

このケーブルウエイは風のためよく運休するらしかった。
私の友人は二度ケープタウンへ来て、まだ一度もテーブルマウンテンに登ったことがないと言っていた。
実際、この時は4日間ケープタウンに滞在したが、ケーブルウエイが動いたのは最後の4日目だけであった。
確か、1997年にケーブルウエイは新しくなった。
ゴンドラ(?)も丸型になった。
風を受ける影響も少なくなったと思うので、昔ほどケーブルウエイは運休しなくなっているかもしれない。

(写真はパンフレットに載っていた昔のケーブルウエイです)

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posted by southafrica at 21:02| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | ケープタウン旅行記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月01日

プケープタウン行

ケープタウンを訪れたのは1995年11月でした。
ケープタウンは比較的治安はよいと聞いていたが、実情がよくわからないので、旅行社に一番安全そうなケープサンホテルを3泊予約してもらっていた。
ヨハネスブルグのヤンスマッツ空港から飛行機に約2時間乗り、ケープタウンに到着した。

ヤンスマッツ空港とは、現在のヨハネスブルグ国際空港である。
(現在は空港名が変わっているかもしれません)
今でも南アフリカの友人は、「ヤンスマッツ空港」と言っていて、「ヨハネスブルグ国際空港って何処に出来たのだ?」と惚けたことを言っている。
私も南アフリカを訪れた最初の頃は、飛行機の中のアナウンスも「ヤンスマッツ空港」と聞いていたが、いつの頃からか「ジョハネスバーグ国際空港」というアナウンスを聞くようになった。

以前にも書いたかも知れませんが、ヤンスマッツとは南アフリカの有名な将軍(大統領だったか?)の名前で、1994年にマンデラ政権になり、白人の方の名前をつけた施設などが、どんどん改名されているそうです。
ヨハネスブルグの有名な病院も名前も変わりました。以前、少しジョーク気味に「世界的に有名なクルーガー・ナショナルパークはどうなるのだろうか?」と書きましたが、まだ名前は変わっていないみたいです。

出発前に南アフリカの友人に、「この時期はケープタウンの天候はよくないので、テーブルマウンテン」には登れないかもしれないよ!」と言われた。
そして「何処に泊まるのだ?」と聞かれて、「ケープサンホテルだ」と言うと、「日本人は金持ちだからな」と言われた。
私はいつものように、「あなたたちには危険でない所も、わたしたちには危険なところがいっぱいあるのです」と言い、そして「あなたはサントン(ヨハネスブルグの北にある街で、日本人の方が多く住んでいる)の街は自由にあるけるかもしれませんが、わたしたちは歩けないのです」と言った。

ケープタウンの空は、うっすらと曇っていた。
空港からタクシーでケープサンホテルへ向かった。
南アフリカの友人から、「ケープタウンの空港のタクシーは問題ない」と言われていた。
「ヤンスマッツ空港ではタクシーに絶対乗るな」と言われていた。
そして「帰って来る日の夜はヤンスマッツに迎えに行く予定だが、もし迎えがいない場合は空港内のホテルに泊れ」と言われていた。

飛行場からタクシーに乗ってホテルまで行った。
タクシーの運転手はマレー系のカラードの方だった。
なぜか安心をした。
運転手が同じ東洋人だったためかもしれない。
後でツアーガイドから聞いた話では、彼らのコミュニティーの結束は強く、商売もうまいそうである。
この南アフリカに来て初めて乗ったタクシーで少し緊張したが、無事にケープサンホテルに到着した。

ケープサンホテルのロビーの案内に、カラードのマーニーさんがいた。
「フ・ハーン・ディット」と挨拶をすると、マーニーさんが驚いて、そばにいたボーイに向かって「この日本人はアフリカーンスを喋るぞ!」と言った。
そして私に「何処から来た」と聞いた。
私が「ジョバ(ジョハネスバーグ)」と言うと、「住んでいるのか?」と聞いた。
「まだ半年だが、日本と南アフリカを行ったり来たりしている。数年間いる予定なので、また来年ケープタウンに来る予定だ」と言った。

マーニーさんに、「これからテーブルマウンテンへ行きたいのでタクシーを呼んで下さい」と言うと、「今日は強風のためケーブルウエイは停止している」と言われた。
「明日は登れるだろうか?」と聞くと、「分からない。昨日も、一昨日も停止していた」と言った。

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posted by southafrica at 22:15| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | ケープタウン旅行記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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