2010年03月31日

いつも泊まるサントンのホテル

このホテルのチェックインは必ず15分ぐらいはかかってしまう。
勿論、予約なしで行くわけではなく、事前に予約を入れ、宿泊代すら会社から払い込みのはずなのに。
ファックスで送られて来た予約書を渡すと、先ずコンピュータでチェックして、後ろのボックスからプリントアウトした用紙を探し出す。
宿泊の記入用紙を渡されて、住所、氏名、パスポートNoを記入する。
そしてデポジットとして1泊100Rを請求され、喫煙の部屋を希望するかどうかを聞かれ、駐車場を使用しているか聞かれる。
もう何度も宿泊していて、会社からの宿泊代の払い込みもしてあり、身分も明確なのだから、「ウエルカムバック」だけで、部屋のキーを渡されてもよさそうなものだが。

私がチェックインする夕方は、カウンターの中には2名か3名いるのだが、何故か従業員同士で時々お喋りをして、手の動きが止まってしまう。
そして、宿泊客やらがカウンターに来て両替や依頼事をすると、私をそっちのけでその仕事をしている。

この私が宿泊しているホテルからサントンサン・タワーホテルの間には、2車線の道路が走っている。
この間は約500mぐらいかもしれない。
数年前は、ウエストバッグに財布を入れて、カメラをぶら下げてここの歩道を歩く日本人の観光客の方がよく物取りにあったらしい。
「近くに人がいても助けてくれないので注意するように」と言われている。

私はこのホテルに宿泊している時は毎朝、このホテルからサントンサン・タワーホテルまで歩いて行く。
右のポケットには小銭を、左のポケットには100R(1200円)程度の紙幣を入れて。
勿論、物取りに狙われないように毎日同じ時間には行かない。
サントンサン・タワーホテルの玄関にたどり着くと、玄関の外にいるポーターさんたちが、「オハヨウゴザイマス」と挨拶をしてくれる。
私は、「ウンジャーニ(元気ですか)」と声を掛ける。

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2010年03月28日

週末はサントンのホテルへ

週末はカントリークラブのロッジを追い出されるので、何処かのホテルへ移らなければならない。
このカントリークラブは市の直営のためなのか、金曜日と土曜日の夜は、休暇で訪れるお客さん以外は泊めない。
宿泊客は予め予約して来るはずなので、週末に部屋が空いていれば私を宿泊させてくれてもいいと思うのだが、お金もうけばかりを考えていない。
さすが南アフリカである。

最初からホテルに宿泊すれば週末移らなくてもすむのだが、ホテルの塀の外に出られなければ気分が滅入ってしまう。
カントリークラブなら、朝晩は広い敷地内を自由に散歩が出来るし、知り合いのキャディーマスターとも話しが出来るので、ウイークデーはカントリークラブに泊ることにしたのである。

週末だけこの田舎町のホテルに移って宿泊することも可能だが、ついつい200km離れたヨハネスブルグの北のサントンという街まで行ってしまう。
サントンのホテルに宿泊したからといって、人と会って話しをするでもない。
でも、安全なショッピングセンターの人ごみを歩いたり、サントンスクウェアーの階段に座って人々を見ていると少しは孤独感がなくなる。

もうそれも飽きてきた。
次回は車を飛ばして東の方をドライブして見ようと思っている。
イースタントランスバールには山、谷、滝があり、とても美しいまところである。
でも、イースタントランスバールのロッジに泊まって、家族づれの中で一人で食事をするほど侘しいことはない。

私の宿泊するサントンのホテルは、5つ星の有名なサントンサン・タワーホテルの隣にある。
サントンサン・タワーホテルは最近宿泊したことがないが、一泊900R(10900円)くらいするかもしれない。
私の泊るホテルは400R(4800円)である。
かなり安い方だが、私の滞在する田舎町の人達が仕事でサントンに来ると、これでも「高い」と言って200Rぐらいのロッジと呼ばれるホテルに泊っているみたいである。
私の場合は、ベッドの他に安全も買っているので、決して高いホテルではない。

私が宿泊しているこのホテルと、その回りでは摩訶不思議なことが沢山起きているので紹介したいと思っている。

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2010年03月27日

一年半ぶりに会社へ行く

車で会社へ向かった。会社まではここから20分ほどかかる。
見なれた南アフリカの広大な景色である。
昨日もここを走っていたように思える。
1年半ぶりなのが嘘のようである。
「日本の会社に行くよりも爽快な気分はなんなんだろうか?」と思ってしまう。
毎日、仕事、仕事で追われている自分から、しばらく逃避できるからかもしれない。
でもここに来れば来たで、すぐにまた仕事、仕事に追われる自分がいることは明らかなのだが。

事務所の玄関を入ると、知人が「モーニング。ウエルカムバック」と挨拶をしてきた。
昨日もその前の日もこの知人にあっていたような錯覚に落ちいった。
まるで1年半前にタイムスリップしたように思えた。
「日本と南アフリカに、それぞれ別の自分がいるのも悪くないな」と思った。
小さな事務所で仕事の準備をははじめると、廊下を通った知人達が声を掛けて行く。
「モーニング。ハワー・ユー」、「モーラ。フハーン・ディット」、「ウンジャーニ」。

私と彼らでは、仕事のペースがかなり違う。
私は少ない滞在期間で仕事を終りにして日本へ帰らなければならない。
金曜日の午後などは、今週終らなかった仕事でイライラしている時に、すでに彼らは週末気分になっている。
ついつい衝突することも多くなってしまうが、みんな人情味のあるいい知人ばかりである。

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2010年03月25日

スーパーマッケットで買い物

夕方、ピックンペイというスーパーマッケットに買い出しに行った。
「Pick 'n Pay」と書く。
英語のような名前だが、アフリカーンス語かもしれない。
まずはピックンペイの前のCNAという本屋に寄って、旅行、動物、アフリカ、ワイン、経済等の本をどっさり買い込んだ。
ビニール袋(こちらではプラスチック・バグという)が破れそうに重かった。
機内やホテルからも本を集めてくるので、すでにスーツケースが重量オーバーになリそうだ。
ピックンペイで、缶コーラを6本、レモネードを6本、パッションフルーツの果汁瓶を1本、ワインを1本、アボガドを3個買った。

夕方の19時、カントリークラブのレストランへ行った。
今日は到着祝いなので久し振りにステーキを食べることにした。
時差ボケなのか200グラムを食べきれなかった。
久し振りに食べた肉は硬かった。
一応は南アフリカの狂牛病はどうなのか知人に聞いていおいたが、問題なさそうなので安心して食べた。
これから数週間、毎日ここのレストランに来て、少ないメニューから選ぶと思うとうんざりした。
今回、スーツケースの中に入れる物が殆どなかったので、かなり多くのラーメンと炊いてあるご飯を持ってきた。
たぶんこのラーメンとご飯にお世話になることだろう。

翌日の12月4日、このカントリークラブで最初の朝を迎えた。
テラスに出てみると、空一面が雲に覆われていた。半袖では寒い感じでる。
「ああ、これが南アフリカの空だ」と思った。
この空の雲が次第に消えて行き10時頃になると、青空からジリジリとした光線が差してくるはずである。

ともかくレストランへ行った。
一番安い10R(120円)の朝食を注文した。
薄いトーストが1枚、目玉焼き、スライスした焼きトマトにベーコンが2枚である。
さらにコーヒーが3R、ジュースが4Rで合計17R(200円)である。
食欲あまりない。
食べ終わって一休みしていると、「サム・モア・ブレッド?」と聞かれたので、「イエス・プリーズ」と言うともう一枚持って来てくれた。
毎日同じ朝食を食べると思うとうんざりしたが、コーヒーは飲めるし、仕事で滞在している私のような一人者もいるので、一人で食事をしてもいやな雰囲気ではない。
毎朝来ようと思った。

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2010年03月23日

サントンのホテルにチェックイン

無事にヨハネスブルグの北のサントンという街のホテルチックインした。
10年ほど前からヨハネスブルグに住んでいた駐在員の方達は、治安は比較的安全なサントンに移って来た。
比較的安全といっても、殆ど市内を歩くことは出来ない。
歩いて行けるような距離でも車で移動しなければならないので面倒である。

ホテルの表の道路を横切り、階段を登り、300メートルぐらい歩くとサントンシティーというショッピングモールである。
夜間は、この間にホテルの監視員が5人ほどいる。
でもあまりたよりになりそうな監視員ではない。

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12月3日、南アフリカで最初の朝を迎えた。
昨夜は23時に寝たのに、時差ボケのため3時に目が醒めた。
窓から東の空を見ていると、真っ赤な太陽が5時15分頃に昇って来た。
7時に知人が迎えに来て、ヨハネスブルグの東にある田舎町に送ってもらった。
道路を走っていると昨日も走っていたような気になる。
この国の空気が私の肌に合っているためだろうか?!

この田舎町に来たのは1年半ぶりになる。
数年前は年間の殆どをこの田舎町に滞在していたので、一軒の家に住んでいた。
今回は滞在期間が短いためカントリークラブのロッジに泊ることになった。
ロッジ正面にはテラスがある。
何とそのテラスは鉄格子で囲まれている。
この鉄格子は動物よけではない、そう強盗の侵入防止である。
ロッジの前はゴルフ場であるが、今回はプレーをする機会はないだろう。
南アフリカは夏なのでサンセットが18時50分頃である。
仕事が終ってから1ラウンド廻ることは可能である。
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2010年03月21日

ヨハネスブルク空港で両替をするな

12月2日、ヨハネスブルグ空港に到着した。
入国審査を終えて荷物の受け取りに向かった。
数年前は、ここのトイレの前に灰皿がありタバコが吸えた。
公共の場での喫煙が禁止されてからはここでタバコを吸うことが出来なくなった。

機内から持って来た手荷物をカートの上に載せて、荷物の出て来るコンベヤーの最後に方の場所に行った。
ここでは目を離すと手荷物がなくなってしまうので有名であった。
今はどうなのか知らない。
荷物が出て来た。コンベヤーの先の方に並んでいた人達は、自分の荷物を見付けてカートに載せて、税関の荷物検査に向かった。

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私はユックリと自分のスーツケースをカートに載せて税関に向かった。
先に行った数人の日本人の方達は、荷物を開けさせられてチェックされていた。
私は運よくも堂々と中央を通り、無検査で通過することが出来た。

空港のロービーに出ると知人が迎えに来ていてくれた。
昨夜、香港のホテルから電話をしておいたので、知人は航空会社に電話をして到着時間を確認して迎えに来ていてくれたのである。

知人は私の押してきた来たカートを押して、「このまま駐車場へ行こう」と言った。
私が「銀行で両替したい」と言うと、友人は「お金は後でどうにかするから、ウロウロしないでひとまず空港を離れよう」と言った。
数日前に空港から車でサントンへ向かう日本人の方がハイジャック(カージャック)にあったらしい。
空港から尾行され、高速道路で数台の車に囲まれてハイジャックにあったらしい。
友人は車のルームミラーで尾行されてないことを確認しながらサントンへ向かった。
「今年は未遂も含めて日本人の被害が8件起きている」と言った。

もうこうなったら、ヨハネスブルグは世界で最も危険な都市である。
因みに、ヨハネスブルグの1か月間のハイジャックは500件だそうです。
最近のターゲットは観光客で、ジンバブエから来たミニバスでさえハイジャックの被害にあっているという。
ちょっと失礼な話しだが、ジンバブエからの観光客を狙っても、たいした成果はあげられないと思うのだが。

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2010年03月17日

二年ぶりの南アフリカ

南アフリカ上空にさしかかった。
向こう側の列では入国と税関の申請用紙が配られた。
しかし、私の座っている列には配られなかった。
入国用紙をもらいにいったが誰もいない。
しかたがないのでエコノミーの席までいって用紙をもらってきた。

ヨハネスブルグまであと200kmである。
赤いアフリカ大地は緑にかわっていた。
「南アフリカまではるばる来た」という気がしない。
「また戻って来た」と言う気持ちである。
「みんな元気でいるだろうか?」。
この2年間で南アフリカがどのように変わったのか興味がある。

バッグから財布を取り出して、前回持ち返ったランド紙幣とコインを入れた。
前回持ち返った時は、1Rが23円ぐらいだったと思う。
先ほど読んだ南アフリカの新聞「スター」紙によると、1Rが12円と書いてあった。
だいぶ損をしたことになる。
でも前回20Rだったマクドナルドのセットが今でも20Rならば、日本円に換算すれば半値ということになる。
今まで買うことができなかったオーストリッチのバッグも、今回は買えるかもしれない。
でも次回は1Rが10円ならば、もっと安い値段で買うことができるかも知れないのだ。

18時10分にヨハネスブルグ空港に到着した。
草原のような空港に飛行機が着陸すると、草むらから一斉に小鳥の大群が飛び立った。
半年ほど前の南アフリカの新聞によると、南東部のダーバン空港では、飛行機の空気取り入れ口から小鳥が飛び込んでトラブルが発生しているらしい。
そのため飛行場内で犬を放し飼いにしていると書いてあった。

ともあれ無事に南アフリカに到着した。
預けた荷物が無事に出て来ることを願った。
入国申請で12月30日までと書いたら、2002年3月2日まで滞在許可の印が押されていた。

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2010年03月16日

飛行機はマダガスカル上空

10時10分、飛行機はスリランカの遥か南を通り、マダガスカル方面に向かっていた。
このまま到着の夕方まで寝てしまうと、南アフリカに到着して夜寝られなくて時差ボケになってしまう。でも眠い。ともかく12時までは寝ることにした。

11時10分、喉が渇いて目が醒めた。ペットボトルは空になってしまった。
水をもらいにいったが誰もいず、もらうことが出来なかった。

12時を過ぎたので、機内の本や新聞を読んで寝ないことにした。
「こんなことならば成田で文庫本を買ってくればよかった」と思った。
朝食を食べてから6時間がたっているので腹が減った。
「いったいいつ昼食を出してくれるのだろうか?」と思った。
香港を出発しての直ぐのアナウンスは飛行機の振動音でよく聞こえなかったが、昼食の件は放送していなかった。

15時頃になってやっと、黒人のスチュワードによって水が配られた。
朝の6時半ころに朝食を食べただけで腹はペコペコである。
しばらくしてスチュワードが向こう側の通路にナッツの入った小さな袋を配った。
しかし私が座っている列には配ってくれなかった。
腹が減っているので、どうしても食べたかった。
休んでいるスチュワードの所へ行って、「腹がへった。先ほど配っていなナッツが欲しい」と言うと2袋くれた。

15時20分、飛行機はマダガスカル上空にさしかかった。
まだ食事の準備をしてくれない。
16時5分、機内の照明がつき飲み物が配られた。
16時30分、やっと夕食にありつけた。
食事は17時頃のモザンビーク上空で配られた。
結局、約10時間食事がなかったことになる。
昼間の飛行だとわかっているので、簡単な昼食を香港で準備して欲しかった。
準備できないとしても、マニュアル通りでなく融通をきかせて、せめて夕食をもう少し早く出して欲しかった。

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2010年03月14日

南アフリカ行

2001年12月1日(土)、香港発23時50分発のSA287便は、約11時間遅れで翌日の11時が出発と表示された。

搭乗して、コンピュータの入ったビジネスバッグと成田空港で買ったお土産の袋を頭上のボックスに入れた。
しばらくしてオシボリが配られたので手を拭いた。オシボリから滴り落ちる水滴がズボンを濡らした。

離陸が近づいたのだろう、スチュワーデス(今はこう呼ばないらしいが)が頭上のボックスのフタを、大きな音をたてて閉めた。
この音を聞いた時、「懐かしい音だ」と感じた。
そして「これほどまでに大きな音をたてて閉めなくてもよいだろう」と思った。
スプレー(殺虫剤?)が天井に向かってまかれた。
しばらくして目が痛くなった。
風邪を引いている喉にしみて咳が止まらなくなった。

11時40分に香港を離陸した。
時計を6時間戻して、南アフリカ時間の5時40分にセットした。
これから南アフリカ時間で過ごすことにより、少しでも時差ボケを解消するためである。

離陸して直ぐに、南アフリカの気温などがアナウンスされた。
「通常は夕食を先に出しますが、今回は昼間の飛行なので先に朝食を出します」とアナウンスがあった。
でもこのアナウンスは飛行機が離陸して、まだ上昇中のため飛行機の振動音でよく聞こえなかった。

しばらくして朝食が出された。
いつものように食べ終わるやいなや、すぐに片付けられ、デザートが出され、最後にコーヒーが出された。
眠気覚ましにコーヒーをもい一杯飲みたかったが、おかわりに廻って来なかった。

昨日からの疲れと風邪のためか、すぐにウトウトしてしまった。
目が醒めると窓のブラインドは閉められ、機内は真っ暗であった。
時計を見ると8時を過ぎていた。
ブラインドを開けると、まぶしい光が差し込んできた。
下を見ると真っ赤な大地が見えた。
機内のモニターで場所を確認するとカンボジア上空だった。
プーケットの上空を通り、マレー半島を横切って、インド洋に出るようである。
もう少しシンガポール側を通ると思っていたので、少し以外であった。

スチュワーデスが通った。
ジャージに着替えていた。
「まぶしいから、(ブラインド)閉めて」と強い口調で注意されてしまった。

風邪のためか身体が熱っぽい。
喉がカラカラであった。
水をもらいに行くと黒人のスチュワードが一人で休んでいた。
「水を下さい」と言ったら、トレイの上に置いてあった水の入っているコップを指差した。
コップ一杯の生温い水を飲み乾した。
「風邪を引いているので、水をボトルで欲しい」と言うと、小さいペットボトルを一つ出してくれた。

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2010年03月10日

南アフリカ行便欠航で香港泊

夜中の1時頃寝付いて6時に目が醒めた。
ドアーの下からメッセージが入っていた。
「SA便の出発は11時の予定です。8時半にSAのカウンターが開きます」と書いてあった。

風邪と寝不足のためか食欲がなかった。
簡単に朝食を済ませて、Dカウンターへ行った。
チケットを見せるとコンピュータにインプットして、「荷物は預けてありませんね」と言われた。
「成田でスーツケースを預けてあるはずです」と言うと、コンピュータをチェックして、「1個預けてありますね」と言った。
また悪い予感がした。ヨハネスブルグ空港で荷物が無事に出てくるだろうか?

ビジネスラウンジで暇をつぶした。
隣の席に座っていた日本人の方が、「荷物をここに置いて席を離れても大丈夫でしょうか?」と聞いた。
「危ないですが大丈夫ですよ」と訳のわからない返事をしてしまった。
日本人の方は席を離れて何処かへいった。
後ろの席に座っていた日本人の方が、「そう返事するしかないですね」と話し掛けてきた。
私はバッグのベルトを机の脚に巻いて施錠を掛けて、喫煙室に向かった。
勿論バッグは開かないように鍵を掛けた。

11時出発予定のSA287便は、30分遅れの11時半に離陸した。
時計を6時間戻して、南ア時間の5時半にセットした。
ヨハネスブルグ到着予定は18時である。
この時間ならば、ホテルにチェックインして一休みしてから寝られる。
到着時間としては申し分ないと思った。

通常の深夜のフライトの場合は、飛行機に乗ると直ぐに夕食が出て、マダガスカルを過ぎてモザンビークに入る前に朝食が出る。
「今回は昼間の飛行なので先に朝食を出します」とアナウンスがあった。
でもこのアナウンスは飛行機が離陸して、まだ上昇中のため飛行機の振動音でよく聞こえなかった。
「もう少し飛行が安定してから放送してもよいのでは」と思った。

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2010年03月08日

香港でまたトラブル

2001年12月1日(土)。
成田空港発18時20分発のCX(キャセイパシフィック航空)505便で香港へ向けて出発した。
ヨハネスブルグへは香港発23時50分のCXとの共同便のSA(南アフリカ航空)287便で行く予定であった。

CX505便は予定通り、香港に22時半頃無事に到着した。
搭乗までにまだ時間があるので、いつもの喫煙室に入って煙草を2本吸った。
風邪を引いていて1週間前には4日間寝込んだ。
タバコは吸いたいとは思わなかったが、これから南アフリカまで吸えないと思うと、いつしか喫煙室に向かって歩いていたのだ。

喫煙室を出てエスカレーターで登ると、フライトスケジュールの電子ボードがあった。
SA287便の搭乗ゲートが表示されていない。
右側のコメント欄には14時間遅れと表示されていた。
「悪い予感が的中した」と思った。

もし飛行機が14時間も遅れるのなら、香港に入国しなければならない。
風邪を引いていて身体がフラフラする。
一人で何もする気が起きないので、ともかくビジネスラウンジに行くことにした。
ラウンジの入口でインビテーションを渡すと、「今日はSA便は出ない」と言われた。
そして、「ラウンジ内のカウンターへ行け」と言われた。

ラウンジの入口にあるカウンターでSA287便のチケットを渡すと、「アナウンスするから何処かで休んでいて下さい」と言われた。
5分ほどすると呼ばれた。
カウンターに行くと係の男性が待っていて、「ホテルを準備したので案内する」と言った。
そして、「SA287便の予定は明日の14時で、ヨハネスブルグ着は21時」と説明した。そして「明日の11時にSA便のDカウンターに行くように」と言って、チケットの入っているいるケースに「11時Dカウンター」と書いた。

入国用紙を急いで書いて入国した。
手荷物検査を通り外に出ると、さきほどの係の男性が待っていた。
左手の方向を差して、「あそこに見えるのがリーガル・ホテル・エアポートで、この道を行けば10分でいける」と説明した。
ホテルの宿泊券を見ると、宿泊費、夕食と朝食が無料と書かれていた。

本来ならば、南アフリカへは明日の早朝に到着する。
知人がヨハネスブルグ空港に迎えに来てくれることになっていた。
ともかく飛行機が遅れることを連絡しなければならない。
係の男性に、「電話代も無料にして欲しい」と言うと、返事をしなかった。
「ヨハネスブルグの空港に、知人が迎えが来ることになっているので連絡しなくてはならない」と強く言うと、「国際電話で3分無料」と書いてくれた。

ホテルにチェックインして、部屋から南アフリカへ電話をしようとしたが、ダイヤルで繋がらなかった。
国際電話の交換を呼び出して、南アフリカの知人に繋いでもらった。
南アフリカはまだ夕方であった。
「飛行機が遅れていて南アフリカ到着予定が明日の21時の予定です。空港にSA278便の到着時間を確認して迎えに来て頂けますか」とお願いした。
明朝、出発時間が確定したら連絡することも可能なのだが、、南アフリカとの時差が6時間あるため、南アフリカは深夜なのである。

レストランでバイキングの夕食を食べて部屋に戻ると、すでに翌日の12月2日になっていた。

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南アフリカ滞在記・2001年

2000年代(21世紀)に入って最初の南アフリカ滞在記を紹介致します。
一年半ぶりの訪問であり、21世紀に入ったので、南アフリカの変化に期待をしていました。
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南アフリカへ到着

空港へは早めに着いたのでチェックインカウンターはまだ開いていなかった。
1時間ほど待つと、SA(南アフリカ航空)のカウンターが開いたので、チェックインをした。
入国する時は厳しかった荷物のチェックを受けたが、何の検査もなく通ってしまった。
何も殆どないビジネスのラウンジで、クラッカーを食べ、コーラとコーヒーを飲んで時間をつぶして南アフリカへ向かった。

憧れのモーリシャスの旅が終った。
私がもう少し若く、海が好きならば、ダイビングなどで楽しい日々が過ごせるであろう。
海の好きな者が数人で来るならば、海の好きな若いカップルが来るならば、モーリシャスはやはりインド洋のパラダイスである。
海が好きでなくても、若いカップルでなくても、一人でさえ行かなければモーリシャスはパラダイスである。
いつの日か、またどこかの南の島へ行ってみたいと思っている。
今度は家族と一緒に。

8月20日の夜、南アフリカのヨハネスブルグ国際空港に無事到着した。
税関には審査官が一人もいなかった。
ということは、モーリシャスから持ち込むものには課税の対象になるような代物はないということなのだろうか?
税関を通ってロビーに出ると、いつもの黒人の運転手さんが待っていて、「お帰り」と言った。
手には「ようこそモーリシャスから」と書かれたボードを恥ずかしそうに持っていた。
きっと誰かが私のために作ってくれたのだろうと思った。
また4ヶ月間の南アフリカの生活が始まった。
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2010年03月02日

モーリシャスの空港へ

最終日の朝を迎えた。
8時半ごろにレストランへ朝食に出かけた。
もう殆どの家族連れは朝食が終っているらしかった。
一人で食べているアジア系の男性や、女性同士でも食べている人達がいた。
自分と同じ人種がいると思うと安心した。
これならば昨日の朝もレストランへ来ればよかったと思った。
しかし、ルームサービスで小鳥と一緒に食べた朝食も悪くはなかったと思った。

フライトは夕方であったが、昼にホテルをチェックアウトした。
予約書に書いてあった3泊分の宿泊料の他に電話代を請求された。
日本の家と南アフリカへ数回電話した料金が1泊分ぐらいの費用であった。
ある程度料金が高いことは覚悟していたが、予想以上に高いことに驚いた。
何故かルームサービスで食べた朝食の料金は請求されなかった。
代金を支払おうとしていると、フロントの男性が「宿泊はいかがでしたか」と聞いた。
私が「とても眺めのよい部屋でした。一人では広すぎるぐらいでした」と言うと、「マルコポーロクラブで予約したため、部屋がグレードアップされていました」と言った。

ホテルのフロントでタクシーを呼んでもらった。
タクシーの値段を念のためにホテルのフロントで聞いたら「800ルピーぐらいだ」と言った。
タクシーの運転手に空港までの値段を聞くと「800ルピーだ」といった。
来た時は1200ルピーだった。
やっぱりボラレタのかもしれないと思った。
早朝であったため深夜料金だったので打倒な値段だったのかもしれないとも思った。
タクシーは来た時の道とは違い、東側の海岸を南に走って空港へ向かった。
私は是非この海岸沿いの道を走って空港へ行きたかったので満足であった。

タクシーは海岸沿いの田舎道を走って行った。
海は青く穏やかで、小さな漁船の船着場があった。
船着場には、数人が乗るような漁船というよりも小船があった。
海岸沿いの斜面には畑もあり、全くの田舎であった。
東南アジアといわれれば東南アジアと思ってしまうような風景であった。
擦れ違う人々や住んでいる家は、さほど裕福そうではないが、食べていくには不自由しないぐらいの生活の場があるみたいだった。
家族を日本に残して、数ヶ月間も南アフリカへ行く私と、どちらが幸せなのだろうかと思ってしまった。
運転手に「写真を撮りたいので、どこか景色のいいところで停めてくれ」というと、途中で2回停まってくれた。

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2010年03月01日

七色の大地

ツアーのバスは谷を越え、また丘の上で停まった。
アイスクリーム売っている自動車があったのでソフトクリームを買った。
ソフトクリームを食べながら細い道を降りて行くと広い場所に出た。
ここが有名な7色の大地であった。ホテルの部屋においたあった観光ガイドに載っていた有名な場所らしいのだが、この丘の隅に立つと向こう側の隅を見ることが出来る、ほんの狭い場所であった。
この七色の大地は、火山から溶出された鉱物が酸化されて色が七色に変ったのだそうです。

この丘の上を歩いた。
赤茶色の丘の上を歩いたが7色には見えなかった。
日光の具合で色が変るのかもしれないと思った。
すぐ近くにいた子供さん連れのご夫婦に写真を撮ってもらった。
実はこの1枚の写真が、モーリシャスで私が写っている唯一の写真である。
この写真がなければ、私がモーリシャスへ行って来たという証明が出来ないのである。

ツアーバスは山を下り、島の南部の海沿いに出た。ここから西側の海岸を北に向かった。
西側の海岸を走っている時、ガイドが日本人の多く訪れるホテルがあると説明していた。
その説明は、ヨーロッパの方たちのようなリゾートタイプのホテルではなく、バカンスタイプのホテルというニュアンスであったかもしれない。
私はこっちのホテルの方がよかったかもしれないと思った。
でも今になって思えば、一生に一回ぐらいはこの旅行で宿泊したリゾートホテルもよかったと思っている。
もう二度と一人でリゾートホテルへは行かないだろうが。

ツアーバスは西側の海岸から島の中央を横断して、東側の海岸にある宿泊していたリゾートホテルへ戻った。
モーリシャス最後の夜であった。
今夜こそ夕食に行ってみようとレストランに出かけてはみたが、この雰囲気では中に入り込めないこめないと思い返し、部屋に帰り真空パックのご飯を食べた。
勇気を振り絞って、賑やかなレストランの片隅で夕食を取ることは出来た。
でも寂しくレストランの片隅で、一人で食べた夕食の思い出をこのモーリシャスで作りたくないと思ったのである。

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posted by southafrica at 19:21| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | モーリシャスの旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

<モーリシャスの主な観光>

○パンプルムース植物園
11万坪の園内には約80種の椰子を含む800種類の植物がある。
60年に一度しか花を咲かせないという椰子、直径1メートル以上もあるアマゾン産の巨大なオオニバスもある。

○水族館
鮫、海亀、珊瑚などモーリシャスの海にに生息する約200種類の魚類などが集められている。

○カゼラ・バード・パーク
2万4千坪の敷地内に約140種、2500羽の鳥が放し飼いにされている。
モーリシャス固有の鳥で絶滅の危機にあるピンク・ピジョンも飼育されている。

○タマリンドの滝
大小7つの滝が重なるように流れている。

○グラン・バッサン
ヒンズー教の聖地として崇められているクレーター湖。
周囲には寺院や沐浴場がある。

○シャマレル七色の大地
火山から噴き出した鉱物が大気との接触によってできた虹色の大地。

○ブラックリバー峡谷
最高峰828メートルのブラックリバー山や原生林に覆われた谷を見ることができる。

ポートルイス市内では、博物館などモーリシャスの歴史に触れることができる。
主なレジャーとして、ヘリコプター・ツアー、クルージング、ダイビング、フィッシング、ゴルフなどがある。
posted by southafrica at 10:15| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | モーリシャスの旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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