2010年02月26日

4カ国語を喋るガイドさん

次ぎに小高い丘でバスは停まった。
そこから遠くの谷の向こうに滝が見えた。
こんな高い場所に滝があるのが不思議に思った。
いったい何処から水がくるのだろうかと。
東京都ぐらいの広さの島なので滝があっても不思議ではないのだが、こんな丘の上に滝になる水があることに驚いた。
私がこのモーリシャスに来てみたいと思った一つのキッカケは、今は絶滅してしまったドードーという鳥であった。
昔はこの丘にもヨタヨタと腹を地面に擦り付けながら歩いていたのだろうと思った。

ガイドが車内のマイクでいろいろ説明してくれるのだが、なかなか発音が聞き取りにくかった。
私は観光の本も読んでいなかったので、現地の地名などは全く分かっていなかったためかも知れない。
このガイドはほとんど一日中喋っていた。
しばらくしてから気がついたことであるが、ガイドは4カ国語で説明していた。
つまり同じことを4回喋っていたのである。
フランス語、英語、ドイツ語それにイタリア語であった。
でもフランス語(クリオール語かも)のイントネーションで喋っていたため、私にはいつ違う言語にかわったのかわからなかった。
最初は英語で説明していることさえ気がつかないでいたのだ。

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2010年02月24日

モンキーカレー

ツアーのバスはどんどんと山の上に登って行き、昼食は小高い山の上にあるレストランに寄った。
もう昼食なのか? まだ殆ど観光をしていないではないかと思った。
もしかしたらショッピングだけでツアーが終ってしまうのではないかとも思った。
モーリシャスには観光する所などないのだろうか? 
でもホテルの部屋の観光ガイドに載っていた”七色の大地”にはぜひ行ってもらいたいと思った。

レストランでは、女性のガイドのお勧めでモンキーカレーを食べた。
辛くないカレーといったほうがよいかもしれない。
バナナなどのフルーツが入っているカレーであった。
このモンキーカレーは注文するとすぐに出てきた。
ガイドがモンキーカレーを勧めていたが、味が美味いというよりは早く食べられるためだと思った。

余談であるが、南アフリカのダーバンなどでもカレーを食べた。
でもあまり辛くなかった。
私はあまり辛いのが好きでないので、ちょうどよかった。
南アフリカの中華料理なども少し甘めであり、南アフリカでは甘めの方が好まれるのかも知れない。
南アフリカにいる日本人の知人の話では、南アフリカのインドカレーはさほど辛くないと言っていた。
嘘か本当かは分からないが、インドは南部の方が辛いのだそうです。
南アフリカに来ているインド人の方は、インド北部の方が多いのだそうです。
南アフリカのカレーはあまり辛くないと言っていたが、数年前に食べたサントンサンホテルで食べた野菜カレーは辛かった。
5分の1ほどしか食べられなかった。
日本人の友人は「そんなに辛くないよ」と言って平気で食べていたが。

レストランの中は混んでいた。
どこのテーブルの席に座ったらいいのか困った。
一緒のツアーで来た男性二人連れの2組と私の5人で座った。
4人はそれぞれ話しをしていたが、私は無言であった。
何か尋ねられれば片言の英語で話しもできたが、こちらから話しかけることも出来なかった。
彼ら自身が英語で話していないのだから。
ドイツ語のようでもあったが、違うような気もした。
彼らは一人の私をどう見ているのだろうと思った。
不思議な奴だと思っているのだろうと思った。
私はこの2組の男性のペアを見て思った。
なぜ男性のペアなのだろうかと。他の観光客は殆どがご夫婦らしいのだが。
2組の男性ペアと一人の男。
このモーリシャスのツアーでは、はたから見れば奇妙なテーブルであったかも知れない。

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モーリシャスのヒンズー教寺院

街の中をブラブラと歩いた。
一緒に来た他の観光客もやることがないらしく、ブラブラと歩いていた。
派手な柄のTシャツと貝や珊瑚で作ったお土産が多かった。
私は1メールほどの帆船のモデルシップを探していた。
精巧に出来たモデルシップがどの店でも売られていた。
おそらく日本の10分の1ぐらいの値段であったと思う。
1艘買おうと思っていたのだが、これから南アフリカに行って、日本に持ち帰ることを考えると無理そうだった。
機内に持ち込むには大き過ぎるし、荷物を預ければ値段がかかりすぎそうだった。
日本の持って帰るまで壊れないという保証はどこにもなかった。
もし無事に家まで持って帰ったとしても「こんな大きな物を家の何処におくのよ」と言われて、壊される危険性すらあった。
小さなモデルシップを探したが、小さい物はそれほど精巧ではなかった。
小さなモデルシップなら少し値段が高くても日本で買えそうに思った。
しかし、日本に帰って数年経っているが、まだ買っていない。

最初に行った観光先はヒンズー教のお寺であった。
お寺の前には大きな池があり、池の真ん中に像が立っていた。
ここがモーリシャスのヒンズー教の聖地なのかもしれないと思った。
お寺の中は土足厳禁であった。
私が靴を脱いで中に入ると、一緒に来た白人の観光客たちも靴を脱いで中に入った。
床が石で出来ているため、冷たかった。
番人をしていたインド人の方に「ナマステ」と挨拶をしたが、返事がなかった。
モーリシャスのインド人の方は、祖国の言葉は忘れてしまったのかも知れないと思った。
インドにはもの凄い数の言語があるそうで、このインド人の方は別の言語を話しているのかも知れないと思った。

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2010年02月20日

南部観光ツアーへ行く

昨日の朝食の時間は少し早かったので、今日の朝食は30分遅らせた。
雀が窓際まで来て「今日の食事はなぜ遅いのか?」というように鳴いていた。
今日はモーリシャスの南部観光ツアーである。
ホテルに一日中いることを考えると気が楽であった。

定時に大きめのマイクロバスがホテルに迎えに来た。
まずはDFSへ連れて行かれた。
観光に行く通り道なのかも知れないが、それにしても最初からDFSとは。
何も買う物がないのでただ見て廻った。
ダイヤモンモンドが安かった。
南アフリカ産らしいが、日本で買う値段の3分の1ぐらいらしい。
ダイヤモンドは空港渡しと言っていた。
カシミヤのセーターが安かった。
カシミヤのことはよく知らないが、インド北部のカシミール地方産が有名らしい。
おそらくインドからの移住者と一緒にモーリシャスに来たのだろうと思った。
ツアーバスはここのDFSに1時間ぐらい停まっていた。
何も買う予定がないので店内を20分も見て廻るとあきてしまった。
駐車場でぼんやりと外の景色を眺めていた。

次ぎは市内へショッピングに行った。
ここでも1時間ぐらい停まっていたかも知れない。
ショッピングばかりで、なんというツアーなのかと思った。
一人で大きな建物の中にあるマーケットに行った。
魚市場の匂いとインドの香料の匂いが入り混じっていた。
あまりの匂いの強さに気持ちが悪くなってしまった。
郵便局を探して中に入った。
記念切手のセットを買うつもりでいたが、なかなか言葉が通じなかった。
「切手を見せて欲しい」と言うと、通常使用している2種類の切手を見せられた。
記念切手が欲しかったのだが。
この2種類の切手を1シートずつ買った。
記念切手は帰りに空港で買えばよいと思った。

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2010年02月10日

<モーリシャスの紹介>

正式国名はモーリシャス共和国。首都はポートルイス。
ロドリゲス島はモーリシャスの東563km、カルガドス・カラホス諸島はモーリシャスの北東395km、アガレガ諸島はモーリシャスの北1200kmにあり、インド洋の広範囲に散らばっている。全面積は2045平方kmで東京都とほぼ同じ。
総人口は約110万人。インド系68%、クレオール系28%、中国系3%、白人系1%。
宗教は、ヒンズー教徒50%、キリスト教徒31%、イスラム教徒16%、仏教徒3%。
公用語は英語。日常会話はフランス語とクレオール語が主流。ヒンディー語、中国語なども使われている。

モーリシャスの歴史の始まりは多くの謎に包まれている。975年にアフリカ大陸を目指してイランの商人が発見したとも言われている。
1510年、ポルトガル人がヨーロッパ人として始めて発見。
1598年、オランダ船が暴風雨のためモーリシャスに避難。その後、食料補給基地として殖民を開始。1652年に喜望峰が発見され、1710年にオランダ人は撤退。
1715年、フランスが国王ルイ15世の名のもと占領し、フランス島と改名。
1810年、イギリスがフランスを破り支配下にした。イギリスの総督はフランス人の信頼を得るためフランス人の習慣を尊重した。
1968年、イギリス連邦下の一国として独立。

首都ポートルイスはフランス植民地時代に、1936年から建設された。中心地には街づくりなど後世に名を残す数々の業績を挙げたラブールドネ総督の銅像の立つアルム広場がある。シャン・ド・マルス競馬場は世界でも2番目に古い歴史を持つ。
おもなお土産品はダイヤモンドの指輪、モデルシップ、紅茶、アンスリウムの花、Tシャツ、ラム酒、切手などがある。

ダイヤモンドは南アフリカ産だが、値段は日本の約3分の1らしい。
モデルシップは帆船で極めて精巧に出来ている。一つ買いたいと思っていたが、運搬の問題がありそうなのであきらめた。モーリシャス航空は機内持ち込みが出来ず、別料金が取られるらしい。
暖かい島で以外だったのがカシミアのセーターであった。
私が買ったのは葉書と切手だけ。それとフィルムケース入れた海岸の砂が土産でした。砂か石を持ち帰るのが趣味なのです。飛行機に乗る際に何度となくセキュリティー・チェックに引っ掛かっている。

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2010年02月07日

セガダンス

午後の4時にホテルへ戻った。
午前11時に出発したのだから5時間かかったことになる。
タクシーの運転手は「ウオーターフロンで2時間、片道1時間」と言っていたが、帰りの道路が混んでいたためであろう。
運転手は追加料金を請求しなかった。
たぶんポートルイスで2時間待っているのが、運転手の言った料金なのだろうと思った。

まだ高い太陽の下で日光浴をしたが、夕食のことを考えるとまた憂鬱になった。
夜になり、今日こそはレストランで食事をしようと思ってレストランへ行ったが、入ることが出来ず戻って来た。
こんなことならばポートルイスで食料を買ってくるべきだったと反省した。
レストランで食べれば無料と思って、買ってこなかったのだ。
日本にいる時は結構むだ使いをしているのに、海外へ行くとお金に細かくなってしまう。
特に東南アジアに行ったときなどは、100円あればと思うとついついけちになってしまう。
昨日と同じに真空パックのご飯を食べ、朝食はルームサービスを注文した。

今夜は楽しみにしていたセガダンスが見られる日であった。
このセガダンスは毎日見られるわけではなく、週1回しか開催されないらしい。
毎日違うホテルを廻っているらしかった。
22時頃になると陽気な音楽が流れてきたので、ダンスを見に出かけた。
屋外のバーの客はセガダンスの舞台の方を向いて座っていた。
隅のイスに一人座って周囲を気にすることもなく見ることができた。

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2010年02月04日

首都ポートルイス

ホテルを出発して、15分ほど行くと少し賑やかな街についた。
運転手は「ちょっと待っていてくれ」と言って車を止めて道路沿いの家の中へ入っていった。
どうやら自宅らしく「これから商売でポートルイスまで行ってくる」と報告に行ったのかもしれない。
この街は、あまりうまく表現できないが、道路の両側にびっしりと家が建ち並んでいて、マレーシアの田舎で見たような街であったかもしれない。

運転手は片言の英語で説明してくれた。
英語と言っても英語の名詞ばかりであった。
ヒンズー教のお寺がいたるところにあった。
運転手がヒンズー教のお寺があるたびにスピードを落として見せてくれた。
キリスト協会もところどころにあった。
道路脇の所々には箱型の家が並んでいた。
そこに住んでいる人たちの顔は、どう見てもクリオール人というよりはインド人であった。
インドの田舎道でみた風景にそっくりで、ここがインドといわれても不思議ではなかった。

運転手が「ポートルイスのどこで降りる」と聞いた。
「わからない。どこか見学できるところで」と言うと、運転手が「ウォーターフロントがいい」と言ったので、そこまで行ってもらった。
運転手は駐車場まで行き、私の腕時計を見て「ここに何時何分までに戻って来るように」と言った。

ウォーターフロントから見える港には漁船が何艘かとまっていた。
朝方に雲っていた空は真っ青に晴れていたが、風が強かった。
すぐ前が海なのに、不思議と潮の匂いがしなかった。

ウォーターフロントの小さなショッピングモールの中を歩きまわり、ウインドショッピングをして葉書を2枚買った。
切手も買って、日本の住所の自分宛てに葉書を1枚出した。
いつものようにエアーメールにしなかった。
私は船便で1ヶ月後ぐらいに届く絵葉書が好きなのだ。
たまには届かない絵葉書もある。
そのため最も気に入った同じ絵の葉書を2枚買うという、他人から見れば信じられない癖がある。

ウォーターフロントでは、中国系の人たちを多くみた。
中国系の旅行者らしい人たちもいた。
この近くのホテルに泊れば楽しく過ごせたかもしれないと思った。
カジノに行ってみたいと思っていたのだが、ガラガラに空いているみたいなので、入り口を覗いただけで寄らなかった。

30分ぐらいかけてカフェのベランダでピザを食べ、コーヒーを飲んだ。
ここで1時間ほどユックリ過ごすつもりでいたが、折角ここまで来てカフェで時間をつぶすのももったいないと思い、市内観光をしようと思った。

ウォーターフロントを出て、交通量の多い道路をようやく横切った。
横切った先はバスターミナルで、広い敷地に10台ほどのバスが止まっていた。
百人以上の人がバスを待っていた。
食べ物屋やオープンマーケットを覗き見した。
斜めの道を登っていくと、その斜面ぞいに都会らしい店がならんでいた。
商店の並んでいる前の歩道には、溢れるほどの人たちがいた。
強盗に襲われたらどうしようと心配したが、ナップサックに入れた荷物は安いカメラだけなので盗まれたらあきらめようとおもって、雑踏の中を歩いた。

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2010年02月03日

首都ポートルイスへ行く

食事をして、本を読みながら日光浴をした。
昨日頼んだフライトのリコンファームの返事がこなかった。
やっぱりこんなもんかと思った。
電話帳でSA(南アフリカ航空)を探して自分で電話をした。
SAの営業所みたいなところが出て、フライトのリコンファームの電話番号を教えてくれた。
なかなか英語が通じなかったが、何度かフライト日とフライト番号を言うと、「OK」と言ったのでひとまず安心した。

ホテルで今日一日はユックリしていたいと思ったが、もうモーリシャスへは来られないだろう。
何処かへ行ってみたいと思った。
少なくとも首都のポートルイスぐらいは行ってみたいと思った。
フロントに行って「タクシーは何処で呼んでもらえますか」と聞くと、ホテルの外にいたポーターにタクシーを呼びに行かせた。
いつもの通り念のためフロントでタクシーの値段を聞くと「おおよそ800ルピーだ」と言った。
タクシーはホテルの外でずっと待っているみたいで、一体どのくらいの乗客が乗るのだろうと心配になった。
もしかしたら一日待っていてもお客が付かないこともあるのかも知れない。
何日かに1回、空港に送って行ったり観光に行ければ、彼らの商売は成り立つのだろうと思った。

タクシーに乗る前に運転手に「ポートルイスに行ってくれるか」と聞くと、「行く」と言った。
値段を聞くと「何時間、ポートルイスにいるつもりだ」と聞かれた。
どういう意味のことを聞かれているのかわからないでいると、「ポートルイスについて2時間待っていてくれ、その値段が800ルピーだ」と言った。
ポートルイスまでの時間を聞くと「片道1時間」と言った。
つまり4時間タクシーを借りきって800ルピーということがわかった。

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posted by southafrica at 11:51| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | モーリシャスの旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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