2010年06月12日

香港発ヨハネスブルグ行

以前、ヨハネスブルグはハイジャック(カージャック)が多いと書いたことがある。
数年前、私の知人の高級車が駐車場から盗まれて、アフリカ大陸の中央で見つかったことがある。その知人は「何万キロも乗られた車なんて、もう私の車ではない」と言ったのを覚えている。
たぶん保険に入っていたので、お金が戻ってくることを希望していたのであろう。

私はこの盗まれた車は一体どのルートを通って運ばれるのか気になっていた。
ナミビア経由は難しそうだし、ボツワナやジンバブエ経由も国境越えが難しいと思っていた。
たぶんモザンビークだろうとは思っていたが、どのルートか興味があった。

香港発南アフリカ行の飛行機の中にあった、南アフリカの新聞「サタデー・スター」に記事があった。
ヨハネスブルグから東南に向かい、スワジランドの南を通ってモザンビークに運ばれるらしい。
モザンビークの写真も載っていたが、悪路の中を行くらしい。

ヨハネスブルグからモザンビークへ行く道は、以前、「コージーベイ」という旅行記で書いたことがある。
私をこの旅行に連れて行ってくれた知人は、「インド洋沿いの砂浜は、南アフリカからモザンビークへ簡単に入ることが出来る。
パスポートなしで」と言っていた。

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2010年06月08日

香港で南アフリカ行に搭乗

無事に香港でタバコを吸い、ラーメンを食べることが出来た。
2月3日23時40分発のキャセイ便は、やや遅れて2月4日0時5分に離陸した。
時計を6時間遅らせて、南アフリカ時間の2月3日18時05分にセットした。
機内にあった南アフリカの新聞サタデー・スターを見ると、ヨハネスブルグの気温は15〜28℃とあった。
18時30分、飲み物が出され食事になった。
赤ワインを飲んだので、食事が終わらないうちに寝てしまった。

何度かウトウトしたが、気がつけば南アフリカ時間の2月4日2時34分、モーリシャス上空であった。
モーリシャスの首都ポートルイスに向かって一直線に来た飛行機は、ここで進路を少し右にかえ、レイユニオンの上空を通りマダガスカル南部に向かう。

東の空が少し明るくなってきた。
「もうすぐマダガスカルか。やっとアフリカに来た」という気がした。
3時35分、機内の灯かりがついた。
もうすぐマダガスカル上空である。
4時00分、マダガスカル上空を出ようとしていた。
窓の外に見える地平線はオレンジ色になっていた。
南アフリカに来るには、今回が最後になるかもしれない。
「もうこの地平線を見るみることもないだろう」、「どうせ最後ならば余裕をもって滞在したいと思うが、仕事、家庭の状況がゆるすだろうか?」と思った。

4時05分、やっと朝食が出た。
4時20分、まだデジカメで空を撮影するには早いだろう。
4時50分、マダガスカル海峡のど真ん中の上空である。
地平線がオレンジ色に変わった。
マダガスカル上空を出たところで飛行機は左に進路を変えて、ふたたびヨハネスブルグに方向を合わせた。

5時05分、太陽が見えた。
5時15分、もうすぐアフリカ大陸のモザンビーク上空に入る。
5時30分、アフリカ大陸上空に入った。
5時40分、もうすぐヨハネスブルグである。
タバコを早く吸いたいが、そんなに慌てることはない。
早く出ても税関で手荷物をチェックされるだけである。
ユックリと入国審査をして、ユックリと荷物を受け取ろう。
6時00分、機内放送があった。
ヨハネスブルグの気温は15℃。
6時10分、ほぼ定刻にヨハネスブルグ国際空港に到着。

入国審査官は3人しかいなかった。
一人5分ほどかかっている。
約40分またされて入国審査が終わった。
入国審査の時に日本人の方にあった。
国内線に乗り継いでダーバンへ行き、1週間いるといっていた。
国内線の乗り場を聞かれたので説明して、「荷物に注意して下さい」と言った。
この入国審査で40分、さらに荷物検査で時間をとられれば、乗り継ぎが厳しくなるだろう。
うまく乗れただろうか?

税関を通ったが、だれも荷物のチェックをされていない。
白人の審査官が「目的と滞在先」を聞いた。南アフリカの会社の名前を言うと「OK」と言った。
「スーツケースの中は?」と聞かれたので、「滞在用の日本食です」と答えた。
「しまった」と思った。
中をチェックされるかもしれない。
検査官は「パックしてありますね」と言って、「行きなさい」と言った。

待合所に出ると知人が迎えに来ていた。
空港からN12道路で田舎町へ向かった。
道端にはコスモスが咲き始めていた。
「もうコスモスが咲く季節ですか?」と聞くと、今年は気候がすこしおかしいらしい。
知人は「昨日、ヨハネスブルグのローズバンクで、春の10月頃に咲くジャカランダの花が咲いているのを見た」と言った。
今年は少し異常気象みたいだ。

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2010年06月06日

2002年・南アフリカ行、お土産はホッカイロ

朝から雪が降り出した。
庭には先週降った雪が解けないで残っていた。
昨年の12月は、香港で南アフリカ航空の飛行機が到着していなくて12時間遅れとなり、香港で1泊することになってしまった。
今回は香港発南アフリカ行きをキャセイ・パシフィック航空にしたが、この雪のために成田発の飛行機が遅れなければよいが。

何か忘れ物をしたような気がする。
女房が「寒いだろうからホッカイロを貼ったら」と言った。
そうだ、昨年末に南アフリカに滞在していた時、友人に「今度来る時、ホッカイロをお土産に持って来てくれないか?」と言われていたのだ。
今、南アフリカの気温は25℃以上の真夏である。でも冬は0℃近くになる。
「今、日本は冬だから、ホッカイロが買えるだろう」と言われたのだ。
友人は数年前の真冬に日本に来て、ホッカイロがあまりにも便利だったため、南アフリカにお土産として買って帰り、奥さんに大好評だったのだそうです。
途中のホームセンターでホッカイロを買った。

駅でジャケットを脱いで女房に渡した。
外は雪が降っていて寒い。
成田まで電車の中なので大丈夫だろう。
でも日暮里駅の乗り換えで寒いかもしれない。
このままジャケットを南アフリカまで持って行くのはいやだ。
成田空港から自宅へ宅急便で送ることも可能だが、ジャケットの値段よりも宅急便の送料のほうが高いだろう。
「もし2月下旬に帰って来る時、寒いと思ったら南アフリカでバファナ・バファナのジャケットでも買おう」と思った。

11時21分、電車は発車した。
「窓の外の雪景色を、デジカメで1枚ぐらいは撮っておこうか?」と思った。
これから南アフリカまで行こうとしているのに、ワクワクもドキドキもしなかった。

13時35分、日暮里駅に到着した。階段を登るのに荷物が重過ぎた。
ビジネススバッグの半分には、パソコンとプリンターが入っている。
ビジネスバッグの半分には、大き財布が3つ、システムノート(パスポート、カード、航空券などがの書類が入っている)である。
バックパックには、お土産のホッカイロ、スペアーのズボン、半袖のポロシャツが2着、靴下が3足、髭剃り。
このバックパックには空港で買うお土産用のウイスキーとタバコを入れるつもりである。

「ホッカイロが重いので、宅急便で空港に送ってあるスーツケースに入れるべきだろうか?」、「スーツケースに入れて、もし傷でもついて発熱したらどうなるのだろうか?」、「バックパックに入れておいて、南アフリカの空港の税関で検査されたら、どう説明しようか?」と思った。
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2010年06月04日

ヨハネスブル空港クからSA便で香港へ

SA便の出発のアナウンスがあった。
10分ほどしてから搭乗ゲートに向かった。
搭乗手続きに向かうドアは閉まっていた。
ここで約20分ほど待たされてドアが開いた。
斜めの通路を50mほど下ったところが搭乗手続きになっていた。
この狭い通路は人が満杯になった。
当然、子どもさんの優先搭乗も、ビジネスクラスの優先搭乗も行われなかった。
搭乗手続きの機械がトラブっているためか、搭乗手続き処理が遅いためかわからなかったが、極めて遅かった。
みんなイライラしていた。
時計を見て確認したら、1分間に2人しか搭乗手続きが行われていなかった。
搭乗手続きは左右2ヶ所で行うことができるはずなので、どちらか一つはスムーズに通して欲しいと思った。

搭乗ゲートから、南アフリカの旗のカラーをした派手な飛行機が見えた。
どこかで見た飛行機であった。
確か数年前、ケープタウンからアトランタ・オリンピックへ向けて南アフリカ選手団を乗せて出発したのを、新聞で見たことがある。
アトランタ・オリンピックを南アフリカのテレビで見ていたことを思い出した。

結局、飛行機は2時間の遅れで出発した。
このまま香港で乗り継ぐのであれば大問題であった。
幸いにして香港で1泊の予定なのでトラブルとはならなかった。
隣の席に日本人の方が座った。
「ヨーロッパで仕事をして、南アのイーストロンドンで仕事をしてきた」と言っていた。
「魚介類が美味しかった」と言っていた。

機内のことを書こうとすると、悪口ばかりになってしまう。
今回は書かないでようそうと思ったが、これだけは私の記録として書いておきたい。

ワインリストを見ていたら、"KWV CATHEDRAL CELLR CABERNET SAUVIGNON 1997" の赤ワインがあった。
「1997年物のKWVなので飲んでみたい」と思った。
注文すると、「この飛行機には乗せてない」とあっさり言われてしまった。
せめて「お客さんの要望が多いので品切れになってしまいました。申し訳ありません」と言って欲しいと思った。
「別の南アフリカ産のワインがある」と言うので "VINERUCO ROCK RIDGE PINOTAGE 1999" を飲んだが、美味しい赤ワインであった。

香港で一泊して、成田空港行きのCX便に乗った。
私の座席のサービスは、笑顔が少し不自然な日本人のスチュワーデスさんであった。
食事の注文を聞きに座席を回っていたが、私の座席の前まで注文を聞き戻ってしまった。
しばらくして注文を聞きに来たのは、香港人のスチュワーデスさんで、英語で「日本食がなくなってしまったので、洋食にして下さい」と言った。
香港発成田行きで、日本食を3回連続食べられなかったことになる。
よくよく考えてみれば、いつも後ろの方の座席にいることに気がついた。

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2010年06月02日

ヨハネスブルグ空港

南アフリカのヨハネスブルグ空港の中は、行くたびに変わっている。
今回、帰国の際にビックリしたのは、出国審査を終えるとそこがショッピングホールだった。
ショッピングホールから出国審査が丸見えなのである。
通常、どこの国でも壁や通路で区切られていると思うが。

ラウンジに入ってフライトスケジュールを見ると1時間遅れと表示されていた。
荷物の整理をしていると、サントンで購入したバッファローのシステム手帳が出てきた。
いつも行くお店で380R(4600円)を320Rにまけてもらって購入した物である。

運よくもシステム手帳の中にタックス・インボイスが入っていたので、税金を戻してもらうことにした。
40R(500円)くらい戻ってくるはずである。
40Rが欲しかったわけではないが、時間があるので悪評高い南アフリカのタックス・リファウンドを試したかったのである。

タックス・リファウンドの申請に行くと、申請者は誰もいなかった。
6人ほどの受付者が暇そうにしていた。
そうそう、このタックス・リファウンドはコーナーの見えにくいところにあり、何人かの人に聞きながらやっと見つけた。
「住居は日本ですね」と聞いて、すぐに手続きをしてくれた。
そして「隣の銀行で両替して下さい」と言って小切手をくれた。

隣の銀行へ行くと5人ほどが並んでいた。
銀行の中には6つの窓口があり、それぞれに人は座っているものの、オープンの窓口は1つだけであった。
1つの窓口では2人の人が座っていたが、一人は新聞を読んでいた。
これでは悪評高いはずだ。
相当に余裕を持って行かないと、ここで長時間待たされるため飛行機に乗れない。

私の前の男性は、少しばかりのR紙幣をドルに交換するのに10分もかかってしまった。
40分ほど待ってやっと私の番になった。
コンピュータで処理しているのだが、「どうしてこんなに遅いのだろうか?」と思ってしまった。
渡された紙幣を見ると290Rもあった。
外の椅子に座って明細書を見ると、購入金額が10倍の3200Rとなっていた。
間違うのも無理はない。
たかが40R(500円)の税金を戻してもらうために、40分もかける日本人なんていないだろう。

ラウンジに戻った。
飲食物のシステムも変わっていた。
従来は飲み物などが自由に取ることができた。
今回は、全てがカウンターの中に入っていた。
当然注文しなければ貰うことができないが、カウンターの中には従業員が一人しかいなかった。
カウンターの前には10人ほどが並んでいた。
ラウンジでくつろげるどころの話ではない。
でもこのラウンジのよいところは、喫煙室があることであった。

荷物をソファーに置いた。
このまま席を離れて飲み物を貰いにいってもよいものか迷っていると、隣の日本人らしきご夫人と目があった。しばらくしていると小学生高学年の子どもさんと日本語で話しをしていた。
日本語で「荷物を見ていて頂けますか?」と尋ねると、こころよく引き受けてくれた。

コーラを飲み、マフィンを食べていると、ご主人が戻ってきた。
「南部アフリカの某国に駐在していて、年末のため日本に帰るのだ」と言った。
この3人連れのご家族が荷物を担いで外に出ようとした。
「SAで帰るのではないのですか?」と聞くと、「パース経由です」と言った。
「ヨハネスブルグで乗り継ぎ、さらにパースで乗り継ぐと、香港経由で帰るのよりも早いのだ」と言った。
「値段も安い」と言った。

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2010年05月30日

南アフリカの床屋さん

南アフリカで撮影した写真に写っている私は、髪がボサボサに伸びている。
数ヶ月も滞在していると、床屋さんへ行かなければならないが、週末は休業でなかなか行くことが出来ないのだ。
ウイークデーに会社を抜け出して行くことになるのだが、予約制のためなかなか時間の調整が難しい。
それに英語で予約するのが面倒なのである。

今回、南アフリカに到着した時は、日本で大風邪を引いていたため床屋さんに行くことも出来ず、すでにボサボサであった。
「南アフリカで床屋さんへ行けばよい」と思っていたが、ついつい行きそびれて、床屋さんへ行ったのは帰国の数日前であった。

夕方、床屋さんへ行った。先約があるというので1時間待たされた。
「シャンプーをしますか?」と聞かれたので、「いりません。カットだけにして下さい」と答えた。
「どのようにしますか?」と聞かれたので、「ミディアム」と答えたが、肉の焼き方の注文ではおかしいので、髪を半分摘んで「ハーフ」と言い直した。
デコボコに刈っているのは分かっているが気にしない。

約15分で散髪は終った。私のようにヘアースタイルを気にしない者にとっては、南アフリカの床屋さんは便利である。
最後にドライヤーで切った髪を吹き飛ばして終了である。
日本の床屋さんのように何度も切って髪を調整しないので、細かい髪が残っていないので痒いということもない。
勿論、髭剃りない。
これで約500円である。
この内容では少し高いかも知れない。
もし髭剃りがあるとすれば、私は拒否するであろう。
もし剃刀で皮膚に傷でもつけられたら、それこそ心配である。
そうエイズ....。

南アフリカには路上の床屋さんもある。
たぶん100円程度で出来るのかも知れないが、白人の方たちは行きません。

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2010年05月29日

南アフリカのダム

ダムに到着した。
ダムといっても向こう岸が見えないほど広い。
このダムにはキャンプ場があり、入り口にはアベンチュラーと書いてある。
アベンチュラーは、南アフリカ内にたくさんあるので、国民休暇村みたいな場所かもしれない。
私は一度だけ、このアベンチュラーに足を踏み入れたことがある。
ロッジがあり、岸辺にはモーターボートが置いてあった。
岸辺には「遊泳禁止」と書いた立て札があった。
数年前、このダムで水泳をしていた子供さんが、鰐に脚を食いちぎられたというニュースが新聞に載っていた。
この鰐は昔からここに棲んでいたのか? 誰かがここに離したのか? 興味がある。
このダムの水は、飲料水や農業用水と使用しているため、人が近づかないように鰐が離されたのかもしれない。

ここ南アフリカでは、乾期にはあまり雨がふらないため、どこの町でも飲料と農業用水用のダムがある。
ダムの水は数年前に来た時よりも少なかった。
数年前は異常気象で、ダムが決壊するのではと思われるほど水が溢れていた。
ここからさらに北へ向かうと、地形のためか気温が2〜3℃高くなり、大きな農場が多くなる。
たぶんここのダムの水を利用しているのであろう。

話しが前後するが、ここに来たのは久し振りであった。
数年前は、危険そうで来られなかった場所である。
「今は危険でない」とも言えないのだが。
数年前、私の黒人の友人が車ごと行方不明になり、数週間後に彼がここから少し北に行った草むらで発見された。
勿論、車はいまだ発見されていない。
車のナンバーが取替えられたか、国境を越えて北の国に運ばれたのかもしれない。
ここ南アフリカは車検制度がないため、盗難車の調査すら難しいのである。

もう少し北へ行ってみたいと思ったが、夕暮れも近いので帰ることにした。
ダムを過ぎると一枚の道路標識が目に入った。
「鹿」や「馬」や「牛」が書かれた動物注意の標識ならば、少しも驚きはしないのだが、何と「カバ」が書かれていた。
まさかこのダムに「カバ」は棲んでいないでしょう。

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2010年05月26日

ある週末のドライブ

日曜日の午後、サントンから田舎町に戻って来て、ロッジに再びチェックインした。
以前にも書きましたが、このロッジは金曜日と土曜日の夜はゴルフで訪れるお客のために、私のような仕事で泊まっているお客は追い出されてしまうのである。

まだ午後の3時であった。夕暮れの7時までには時間があった。
いつもの近くのドライブコースへ行くことにした。
私の好きなドライブコースは、ここから東へ行くイースタントランスバールである。
ここはあまり高い山ではないが山間部で緑が多く、滝なども見られる場所である。
でもイースタントランスバールまでは、ここから3時間もかかり、一日のドライブでもかなりきつい。

そんなわけで、私はよくここから北に40分ほどの所にあるダムまでドライブをする。
このダムの付近は、周囲を低い山に囲まれている。
私は、日本では山の見える田舎町に住んでいるので、山を見ると落ち着くのである。

ロッジを出発して、町は外れの坂道を登り終えると、左手にもう一つの町が見える。
ビルなどの高い建物はなく、朝晩はモウモウと煙がたっている。
ここはかつての黒人の方たちが隔離されて住んでいたタウンで、今でも白人の方たちは住んでいない。
黒人の方たちは、ここの町から歩いたり、ミニバスに乗って白人の方たちの住んでいる町まで働きに行っているのである。
モウモウとたっている煙は炊事の煙で、ここの町は電気が引かれていても、火力に頼っている家庭も多いみたいである。
電気の引かれていない家庭もある知れない。

この町を左手に見て車で走って行くと、広大な大地が続いている。
所々に黒人の方が暮らしている集落や、白人のかたの農場が見られる。
トウモロコシ畑の脇で車を停めた。
トウモロコシの植えられた畝が見えるが、その先端は見ることも出来ないほど広い。
この広大な土地は、今でも白人の方たちが所有しているのである。

遠くの空地では黒人の子供たちが、そまつなゴールをめざしてサッカーをしていた。
15人ほどはいるだろう。
ここから人家は3軒ほどしか見えない。
一体、彼はどこに住んでいるのだろうと思ってしまった。
遊び疲れた彼らは、1時間もかけて、歩いて自宅へ戻るのかもしれない。

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2010年05月24日

ウエルカム・ディナーへ行く

コンピュータのセットアップや、昔から置いてある荷物の確認で一日が過ぎてしまった。
ときどき誰かが「お帰り」と声を掛けていった。
「さあ帰ろうか?」と思っていると電話がかかってきて、「部屋にあるコンピュータの準備ができた」と言ってパスワードを知らせて来た。
コンピュータにログインは無事に出来たのだが、プリンターの設定がされていず、設定までに30分も待たされてしまった。
このように頼んだ仕事はどうにかやっておいてくれるのだが、何かが抜けている。
「コンピュータに社内ランでメールが受信できるようにして、印刷も出来るように設定しておいて下さい」と頼まなければならないのである。

夕方は現地の友人5人に連れられて、ウエルカム・ディナーへ行った。
彼らは私のことなど忘れたようにアフリカーンス語でお喋りをしている。
時々思い出したように私に声を掛けてくる。
「料理の味はどうだい?」とアフリカーンス語で。
「バイエ・ラッカー(旨いよ)」と応えてはみたものの、魚に添えられているライスまで食べきることが出来なかった。

「トッツィンス(さようなら)、ラッカラ・スラープ(おやすみ)」。
アマゾンというレストランの駐車場で別れたのは夜の10時頃であった。
食事とお喋りで3時間半も過ごしたのである。
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2010年05月23日

新聞屋の黒人のおじさん

自分で車を運転して会社へ向かった。
日本の会社へ行くよりも自然に感じるのはなぜだろうか? 
日本と南アフリカに、私という、全く違う人間がいるように思えた。
日本で生活する自分が別の自分のように思えた。
「こんな生活も悪くはないな」と思った。
このカーブを曲がるとロボット(信号)があるはずである。
ロボットで右折すると広い道路に出る。
そして時速60キロの標識がある。まるで昨日もその前の日も通った道のように思えた。

会社の駐車場に車を置いて外に出ると、顔見知りが「いつ帰って来たの?」と声を掛けてきた。
新聞屋の黒人のおじさんが、「明日から新聞をオフィスに届けるよ。シチズンだったね」と言った。
「ああは言っていたが、たぶん新聞が来るようになるのは数日後からだろう」と思った。
新聞が来ても殆ど読む時間がない。
新聞は一部3R(36円)である。
このおじさんへの寄付だと思っている。
それにしてもこの会社の入り口で何部の新聞が売れるのだろうか? 
新聞、雑誌それにお菓子などを売って生活が出来ると思うと不思議である。
posted by southafrica at 22:04| 東京 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 滞在記・2001年 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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